大随法真:壊れるか壊れないかという二見対待を辞める
従容録 第三十則 大随劫火
擧。僧問大隨。劫火洞然大千俱壞。未審這箇壞不壞。[愁人莫向愁人說]隨云壞。[早是那堪]僧云。恁麼則隨他去也。[目前可驗]隨云隨他去。下坡不走更與一推。僧問龍濟。劫火洞然大千倶壞。未審這箇壞不壞。[同病相愛]。濟云。不壞。[打破契頭捩轉鼻孔]僧云。爲甚不壞。[又恁麼來]濟云。爲同大千。[生鐵鑄成]従容録 第三十則 大随劫火 白文
擧(こ)す。僧(そう)、大隨(だいずい)に問(と)う。劫火(こうか)洞然(とうねん)として大千(だいせん)倶(とも)に壊(え)するとき、未審(いぶかし)、這箇(しゃこ)は壊(え)か不壊(ふえ)か。〔愁人(しゅうじん)は愁人(しゅうじん)に向(むか)つて説(と)くこと莫(なか)れ〕隨(ずい)云(い)わく、壊(え)。〔早(はや)く是(こ)れなり。何(なん)ぞ堪(た)へん〕僧(そう)云(い)わく、恁麼(いんも)ならば他(た)に随(したが)い去(さ)る也(や)。〔目前(もくぜん)に験(こころ)みる可(べ)し〕隨(ずい)云(い)わく、他(た)に随(したが)い去(さ)る。[下坡(げは)に走(はし)らざるに、更(さら)に一推(いっすい)を輿(あた)う〕僧(そう)、龍済(りゅうさい)に問(と)う、劫火(こうか)洞然(とうねん)として大千(だいせん)倶(とも)に壊(え)するとき、未審(いぶかし)、還箇(しゃこ)は壊(え)か不壊(ふえ)か。〔同病(どうびょう)相憂(あいうれ)う〕 済(さい)云(い)わく、不壊(ふえ)。〔契頭(かいとう)を打破(だは)し、鼻孔(びくう)を捩轉(れいてん)す〕僧(そう)云(い)はく、甚(なん)としてか不壊(ふえ)なる。〔又(また)恁麼(いんも)にし来(きた)る〕済(さい)云(い)はく、大千(だいせん)に同(どう)じきが爲(た)めなり。〔生鐵(さんてつ)鑄成(いな)す〕従容録 第三十則 大随劫火 書き下し文
擧す。僧:宇宙を焼き尽くす劫火が激しく燃え上がり、大千世界がことごとく破壊されるとき、果たしてこれも破壊されるのでしょうか、それとも破壊されないのでしょうか。〔憂いに沈む者は、同じように憂いに沈む人に向かって語ってはならない。〕
大随:破壊される。〔ただでさえ耐えがたい惨状であるというのに、これ以上どうして耐えられようか〕
僧:それなら付き従って消滅してしまうのですね。〔その浅はかな受け止めようは、まさに今、目の前で証明されている〕
大随:その通り、付き従って消滅する。〔坂を下りようとして足踏みしている者の背中を、容赦なくさらにひと押しして突き落とした〕僧:劫火が激しく燃え上がり、大千世界がことごとく破壊されるとき、果たしてこれも破壊されるのでしょうか、それとも破壊されないのでしょうか。〔同じ病に苦しむ者同士が、互いに寄り添い慈しみ合っている〕
龍済:破壊されない。 〔契約書を叩き割り、その鼻孔をぐっとねじ曲げて引き回した〕
僧:なぜ破壊されないのですか。 〔またしてもそのようにやって来たか〕
龍済:大千世界と同じだからだ。 〔生鉄を鋳型に流し込んで造り固めた〕従容録 第三十則 大随劫火 現代語訳
大随劫火の登場人物とは?:大随法真
今回の則では、ある僧が大随法真(だいずいほうしん/たいずいほうしん)に宇宙が破壊されたとき、本来面目も破壊されるのかと問う。
法系図
- 馬祖道一ー百丈懐海ー長慶大安ー大随法真
僧の問いとは?:宇宙が破壊されるときに、本来面目はどうなるのか?
それでは本則に入ろう。ある僧が、「宇宙を焼き尽くす劫火が激しく燃え上がり、大千世界がことごとく破壊されるとき、果たして『これ(本来面目)』も破壊されるのでしょうか、それとも破壊されないのでしょうか。」と、大随に問答を仕掛けてきた。しかし、この僧は教学講義に没頭していたようで、問答がなんだか学者風。
- 劫火洞然…『俱舍論』にある、大火災(劫火)の後、何物も残らない空劫となるという説。その凄まじい様子を劫火洞然という (阿毘達磨倶舍論 卷第十二)。
- 大千世界…三千大世界のこと。インド哲学でいわれた世界観だが、仏教にも取り入れられた。『長阿含経』によると、須弥山を中軸とした一世界が有り、この一世界が千個あるものを一小世界と呼び、この一小世界が千個あるものを一中千世界とよび、それの千個集まったものを大千世界といい、総称として三千大世界という 。
- 這箇…これとかそれという語。禅では本来面目を指す。本ブログでは原文にだけ残し、本文ではわかりやすく「これ」と最初から訳す。
とにかく、現代に即していえば、一太陽系に属する諸星を一世界とみて、他の太陽系を含む世界を大千、全宇宙の総称を三千大世界と考えれば良い。全宇宙が劫火により焼き尽くされて破壊されるときに、本来面目はどうなるのか?」という問いだ。
万松行秀は、〔憂いに沈む者は、同じように憂いに沈む人に向かって語ってはならない〕とコメントした。本来面目がどうなるかは一大事だが、この僧はそれが悟れないのに愁い、大随はこの僧をどうやって悟らせるかと愁い、共に愁う者だなぁという意味だ。
大随の答えとは?:破壊される
大随は、「破壊される。」と答えた。全宇宙が壊れたら、本来面目も壊れるさ!という意味だ。万松は〔ただでさえ耐えがたい(思い違いの)惨状であるというのに、これ以上どうして耐えられようか〕と、僧は本来面目は不滅だと思って大随に挑んだというのに、大随があっけなく滅ぶというので、僧は耐えられるだろうか、とコメントした。
僧は「それなら(本来面目も世界とともに)付き従って消滅してしまうのですね。 」ともう一度確認してみた。万松は〔(その浅はかな受け止めようは)まさに今、目の前で証明されている〕と、言葉で確認するんじゃなくて、自分の目で事実を調べてみればいいじゃないか、と嘲る。
大随は、「(その通りだ、)付き従って消滅する。」 と言った。万松は〔坂を下りようとして足踏みしている者の背中を、容赦なくさらにひと押しして突き落とした〕と、大随がせっかく一押ししてくれたのに、まだぐずぐずしている。だから、もう一度、ドンと一押ししたんだよ、とコメントした。
修山主の答えとは?:破壊されない
僧は、「劫火が激しく燃え上がり、大千世界がことごとく破壊されるとき、果たしてこれも破壊されるのでしょうか、それとも破壊されないのでしょうか」と、今度は、龍済に問いかけた。龍済というのは、第十二則に出てきた修山主のことだ。
万松は〔同じ病(思慮分別の迷い)に苦しむ者同士が、互いに寄り添い慈しみ合っている〕と、本来面目がどうなるかは一大事だが、この僧はそれが悟れないのに愁い、大随はこの僧をどうやって悟らせるかと愁い、共に愁う者だなぁと、同じコメントを付けた。
修山主の答えは大随とは正反対で「破壊されない。」と言った。 万松は〔(相手の誤解の)契約書を叩き割り、その鼻孔をぐっとねじ曲げて引き回した〕とコメントした。これは、僧が大随に「破壊される」と言われて、そういうものなのかなぁとなんとなくわかった感じで修山主のところへ来たのに、今度は「破壊されない」といわれて、また叩き割られてしまった、という意味だ。学者風が鼻についていたその鼻先を、捻じ曲げられたな、ということだ。
大随と修山主の真意とは?:壊れるか壊れないかではなく、いまここにある本来面目を引き受けろ
僧は、「なぜ破壊されないのですか。」と、どうしても問いを重ねないではいられない。なんで大随は壊れると言って、なんで修山主は壊れないというのか、と粘る。万松は〔またしてもそのように(理屈や疑問を捏ねくり回して)やって来たか〕と失笑している様子。
修山主は「大千世界と同じだからだ。」と言った。本来面目も、全宇宙も同じだよ、というわけだから、大千世界と本来面目をいちいちわけるな、と答えた。 さぁわからない。万松は〔生鉄を鋳型に流し込んで造り固めた〕とコメントした。修山主の応答は、理屈や思慮分別の刀・歯が一切立たないほど頑丈で、一隙のスキもない硬質な真理の提示である、という意味だ。これは、壊れるのか・壊れないのかという二見対待の刀で両断できないほど頑丈だ。
圜悟克勤による見立てとは?:大随も修山主も、僧の理解力に合せて指導した
今回の則は『従容録』において万松行秀の見立てに沿って解説された。しかし、この則は『碧巌録』第二十九則にもある。ここでは、圜悟克勤により、本来面目とは一体何か?と究明するのを目的に取り上げられている。それだから、学問通りに、本来面目は衆生の本性だなんていうと叱られてしまう。
禅の目的は「言葉や概念の定義を覚えること(知識を得ること)」ではなく、体得が目的だ。だから、圜悟克勤は、大随も修山主も老婆が幼い子どもを遊ばすように、僧の言うとおりにお守りしてやったのだ、と見立てている。
本則の後日談で、大随に壊れると言われ、修山主に壊れないと言われてわからないまま訪ね歩くことになった僧は、投子大同に参禅したとき(第六十三則)、投子大同から、もう一度大随のところへ行ってみるよう言われた。しかし、その時既に大随は亡くなっていたという。
従容録 第三十則 大随劫火の核心とは?:観念を捨て、いま・ここに現成する全宇宙を丸ごと引き受ける
- ある僧は、全宇宙が焼き尽くされたとき、本来面目も破壊されるのかと問うた。
- 大随は「破壊される」と突き落とし、修山主は「破壊されない」と包み込んだ。
- 「壊れる/壊れない」という二見対待を離れ、いまの自分を丸ごと引き受ける。
私の体験談:合格するのか?合格しないのか?
従容録 第二十三則 魯祖面壁の体験談で、私の担当する名門高校に志望する生徒が、合格を保証する学習塾にも通うことになった、と話した。これが、つい先日取り辞めになり、結局私が引き続き全面的に担当することになった。謳い文句(観念)などに惹かれたものの、体験授業を受けてみたら良くないと思って辞めたとのことだった。私は本人には言わなかったが、その塾は観念ばかり上手で実体はひどいものだという噂は前から聞いていたからさほど驚かなかった。
この子は、模試の成績はそこそこ良いのだが、最近は宿題をやりたがらないし、遅刻するようになってきている。おそらく、「塾に通っている」、「なんとなく合格を保証されている気がする」ことで、自分自身と直面する機会がなくなっているように思う。今まで担当してきた間、勉強の仕方や取り組み方は既に教えてきたので、塾に通わないほうが、むしろ必死になって取り組むようになるだろうというのが私の本音だ。
「私は試験に合格するでしょうか?」と聞かれて、「合格する」と答えても、「合格しない」と答えても、結局勉強しなければいけないのは変わらない。この子が本来するべきなのは、塾選びではなく、自分自身で結果を引き受ける覚悟と、自分自身で試行錯誤して取り組んでいく創意工夫だ。これがこの年でできたら、生涯の財産となるだろう。私は今これを示す立場ではないが、今後人生にいきずまったとき、そのチャンスは訪れるだろう。
Q&A
- Q: なぜ「壊れる」と「壊れない」という一見矛盾する回答が、どちらも正解(真理)とされるのでしょうか?
- A: なぜならば、二人の禅師は「壊れる/壊れない」という言葉の形骸にとらわれておらず、対立概念を超越した境地(常即無常・無常即常)から、僧の理解や状況に応じて機応的に示導したから(表裏一体の教え)です。
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