従容録 第二十五則 塩官犀扇:いまここのはたらきを呈示する

従容録 第二十五則 塩官犀扇:いまここのはたらきを呈示するの概念図
従容録 第二十五則 塩官犀扇:いまここのはたらきを呈示する

Shoyoroku Case 25: Yanguan's Rhinoceros Fan — Presenting the Function, Right Here and Right Now

なぜ塩官斉安は「扇子が破れたならわしに犀牛を返しなさい」と迫ったのか?それは、形ある扇子の破損という言葉や概念にとらわれた侍者に対し、言葉以前の不生不滅の真実である「本来の面目(犀牛)」を直接提示させようとしたからである。今回は従容録 第二十五則 塩官犀扇を読んで塩官斉安の真意に迫る。

塩官斉安:今ここのはたらきを示せ

従容録 第二十五則 塩官犀扇

擧。鹽官一日喚侍者。與我過犀牛扇子來。[要且少他不得]
者云。扇子破也。[未擧時却完全]
官云。扇子既破還我犀牛兒來。不見道破也 何不領話]
者無對。[扇子猶在 雖有如無]
資福畫一圓相。於中書一牛字。[出巧新行 能做會賣]

従容録 第二十五則 塩官犀扇 白文

舉(こ)す。鹽官(えんかん)一日(いちじつ)侍者(じしゃ)を喚(よ)んで、我(わ)が與(た)めに犀牛(さいぎゅう)の扇子(せんす)を過(か)し來(きた)れといふ。[要(よう)且(か)つ他(た)を少(か)くことを得(え)ず] 者(しゃ)云(い)わく、扇子(せんす)破(やぶ)れぬ。[未(いま)だ舉(こ)せざる時(とき)却(かえ)って完全(かんぜん)] 官(かん)云(い)わく、扇子(せんす)既(すで)に破(やぶ)れなば我(わ)れに犀牛兒(さいぎゅうじ)を還(かえ)し來(きた)れ。[破(やぶ)れぬと道(い)うことを見(み)ずや、何(なん)ぞ話(わ)を領(りょう)せざる] 者(しゃ)無對(むたい)。[扇子(せんす)猶(な)お在(あ)り。有(あ)りと雖(いえど)も無(な)きが如(ご)し] 資福(しふく)は一(いち)圓相(えんきょう)を畫(かく)し、中(なか)に於(お)いて一(いち)の牛(ぎゅう)の字(じ)を書(しょ)す。[巧(こう)を出(いだ)し行(ぎょう)を新(あら)たにす。能(よ)く做(な)して賣(う)ることを會(す)]

従容録 第二十五則 塩官犀扇 書き下し文

舉す。塩官がある日、侍者を呼んで言った。
塩官:わしに犀牛の扇子を持ってこい。[そうはいっても、どうしてもあれを欠かすわけにはいかないのだ]
侍者:扇子は破れております。[前は、かえって完全であったのに]
塩官:扇子がすでに破れているのなら、わしに犀牛を返しなさい。[破れたと言っているのが見えないのか。なぜその言葉を受け取らないのか]
侍者は答えることができなかった。[扇子は相変わらずここにあるが、有るといっても無きに等しい]
資福が一つの円相を描き、その中に牛という文字を書いた。[巧みな工夫を凝らして新しい趣向を示し、作るのも上手ければ売りさばくのも心得ている]

従容録 第二十五則 塩官犀扇 現代語訳

用語集:本記事で使われる仏教・禅の用語とは?

  • 塩官犀扇/鹽官犀扇(えんかん さいせん):塩官斉安が侍者に犀牛の扇を持ってくるよう依頼する公案。
  • 犀牛(さいぎゅう):犀とは中国より南にいる動物で、角が一つ有り牛に似ている。角が鋭いことから、物事を見抜くことや悟りの象徴。
  • 本来の面目(ほんらいのめんもく):父母未生以前の本来の面目。言葉や理屈が生まれる前の本来の自己。
  • 円相(えんそう):禅僧が描く一円相のことで、欠けることも余ることもない円の形によって、宇宙の真理や完全な悟りの境地、真実の自己を象徴的に表現したもの。
  • 潙仰宗(いぎょうしゅう):潙山霊祐と弟子の仰山慧寂によって成立した禅の五家七宗の一つで、言葉に頼らず暗黙のうちに師弟が心を相通わせる機微を特徴とする。
  • 『碧巌録』(へきがんろく):雲門宗の雪竇重顕が撰述した百則の公案を基礎とし、示衆・著語・評唱を備えた公案集で、『従容録』の構成の手本となった。
  • 『従容録』(しょうようろく): 曹洞宗の宏智正覚が編纂した百則の公案集に、万松行秀が示衆・著語・評唱を加えた公案集。

塩官犀扇の登場人物とは?:塩官斉安と資福如宝

要点:登場人物は塩官斉安、資福如宝、塩官斉安の侍者である。

今回の則では、塩官斉安(えんかん さいあん)が犀牛の扇を持って来いと侍者に頼んで問答が始まる。それに対し、侍者が答えられず、後の時代になって資福如宝(しふく にょほう)が応答する。

塩官斉安とは?:歴史に足跡を残す神秘的禅師

  • 出身と俗姓: 海門郡出身、俗姓は李氏。
  • 出家と修行: 地元の雲琮禅師のもとで出家して具足戒を受けた。その後、大寂禅師(馬祖道一)が龔公山で教化を行っているのを聞き、そのもとへ赴いた。
  • 悟りの経緯: 馬祖道一は、塩官の顔を見るや、その非凡な器量を見抜いて、密かに正法を示した。
  • 活動拠点: 杭州 塩官 鎮国海昌院。
  • 遷化(死去): 病にかかることもなく、静かに座して示寂した。
  • 諡号: 悟空禅師 (景徳傳燈録 卷第七(No. 2076 道原纂) in Vol. 51)。

塩官斉安は謎が多くミステリアスな禅僧だが、仰山慧寂が修行僧時代に会っていたり、塩官斉安の弟子が馬祖道一の弟子の大梅法常が山中に隠棲しているのを見つけたりと、歴史に足跡を残している (景徳傳燈録 卷第七、八(No. 2076 道原纂) in Vol. 51)。

資福如宝とは?:円相で応じるビジュアル系禅師

資福如宝もまた謎の多い禅僧だが、潙仰宗(いぎょうしゅう)の特徴である「円相(図形や文字を円の中に描く表現)」を用いた鋭い表現や代語(代わりに答えること)で知られる(景徳傳燈録 卷第七、八(No. 2076 道原纂) in Vol. 51)。

法系図

  • 六祖慧能ー南嶽懷讓ー馬祖道一ー塩官斉安
  • 潙山靈祐ー仰山慧寂ー西塔光穆ー資福如宝

時系列

  • 塩官斉安の犀牛の扇子の公案:800年〜840年頃
  • 資福如宝の円相呈示:880年〜920年頃
  • 万松行秀のコメント:1223年頃

塩官犀扇の公案とは?:塩官が犀牛の扇子を持ってこいと依頼する公案

要点:塩官は「形(扇子)が壊れた」という言葉にとらわれず、その奥にある本質(犀牛=本来の面目)を差し出せと迫ったが、侍者は言葉のやり取りに終始し答えに窮した。

それでは本則に入ろう。塩官斉安が、ある日、侍者(身の回りの世話をする役)の僧を呼んで「わしに犀牛の扇子を持ってこい。」と言った。犀とは、中国より南にいる動物で、角が一つあって形が牛に似ているところから犀牛(さいぎゅう)と呼ばれる。犀の角は鋭利だから犀利という熟語がある。また、中国の 東晋の温嶠(おんきょう)という人が、犀の角を燃やして深淵を照らし、水中の怪物の姿を見たという故事から、物を明らかに見抜くという意味で燃犀という熟語もある。扇子は、うちわだという説と、よくある扇子と同じだという説がある。また、犀牛の扇子とは、犀の角を骨に使った扇子か、もしくは犀が月をじっと眺めているうちに、その角に自然と月のような美しい模様が生じたという諺から、扇子の面に月と犀の絵が描いてあったものだという。こんないろいろな説はどうでもよくて、とにかくただ塩官が普段使用していた、犀牛の扇子だと呼ぶものだと見ればいい。暑い日に、塩官が侍者に扇子をもってきてくれと頼んだのだろう。

侍者は「扇子は破れております。」と、ありのままの事を伝えた。すると塩官は「扇子がすでに破れているのなら、わしに犀牛を返しなさい。」と言った。扇子が破れてしまったのなら仕方がない。扇子はいらないから、犀牛だけを持って来い、というわけだ。侍者は、さぁわからない。それで何とも答えられなくなってしまった。問答はただこれだけのことだが、これが一側の公案となっているから妙だ。果たして犀牛は、どこにあるというのか?

塩官斉安の真意とは?:犀牛は本来の面目の象徴で、扇子は壊れるものの象徴だ

要点:犀牛は本来の面目の象徴で、扇子は壊れるものの象徴だ。本来の面目を言葉や理屈で捉えようとした瞬間、あれこれ迷うことになる。本来の面目は、有るかつ無い。

万松行秀は、[そうはいっても、どうしてもあれを欠かすわけにはいかないのだ]とコメントした。あれとは犀牛扇子のことで、これがなくてはどうにならないとう意味。これはただの扇子ではなくて、塵劫以前の事、三千世界の涯まで貫き、面も眼前脚下に在る底の那一物、これなくては天地宇宙も我も存在意義がない。まったく欠くべからざる至宝の一物だということだ。これをかなり簡単に言うと、言葉が発生する前の本来の面目のことだ。

それを侍者は破れてしまったという。[前は、かえって完全であったのに]、これは、扇子といえば直ぐに扇子という言葉に取り付き、渡すとか取るのとか彼此相対に落ち、おまけにこの扇子は破れたなどと再現もなく枝葉分別に走る。言葉や理屈で捉えようとした瞬間、最初から完璧だった真実(本来の面目)は損なわれ、あれこれ迷うハメになる。何も余計な口を出さなければ最初から完全だったのに、実に惜しいことをしたものだ、という意味だ。

さらに万松は、[破れたと言っているのが見えないのか。なぜその言葉を受け取らないのか]という。侍者が扇子は破れたというのに、塩官はそれなら犀牛を返せと無理なことを言う、はっきりと破れてしまったと言っているのが聞こえないのか?というわけだが、我々は、このわけのわかないところをわからなければならない。

万松は[扇子は相変わらずここにあるが、有るといっても無いに等しい]という。天地いっぱいに充満している這箇の一物(しゃこのいちもつ、この一つのもの)が、なんで破壊喪失なんてことがあるのか?空劫以前より尽未来際、現在目前却下にちゃんとあるではないか?しかし、太陽も亡者にはみえないように、現前に扇子があるとも、この侍者にはないに等しいものだ、いや、この侍者ばかりではなく、みなそうなのではないかなぁ?というふうに表面上は侍者の無気力を嘲笑し、醒めさせようとしている。

つまりは、犀牛は本来の面目(=悟り)の象徴で、扇子は壊れるものの象徴だ。

資福如宝の円相とは?:いま、ここにある自分自身のはたらき

要点:資福如宝は円相で答えた。この円相とは、いまここのはたらきのことである。

塩官よりずっとあとの五代の頃の僧侶の資福如宝(潙仰宗の法系)が、この話を取り上げて、沈黙に終わった侍者に代わり、塩官に答える態度で提唱したことがある。それは言葉を使わず、動作をもって、一つの円を描き、その中に牛の一字を書いた。潙仰宗の特色として、この円相をよく用いる。円の中に牛一つ、円は一つの宇宙、その中にいっぱいにはびこる牛、はい、これが塩官の求める犀牛だよ、ということだ。

万松はこれを[巧みな工夫を凝らして新しい趣向を示し、作るのもうまければ売りさばくのも心得ている]とコメントした。なかなか上出来、これでは売れ行きが良いなぁ、塩官もさぞご満足だろうなぁとほめそやした口調だ。

侍者は「扇子が破れた」という目に見える形や言葉に執着したため、塩官から「形がないなら本物を返せ」と迫られたときに頭が真っ白になり、詰まってしまった。侍者が取るべきだった態度は、理屈や概念で「破れた/破れていない」と議論することではなく、「いま、ここにある自分自身の働き」を躊躇なく堂々と示すことだった。

碧巌録でのコメントとは?:本来の面目をいかに直ちに呈示できるか?

要点:碧巌録では、資福のみならず、投子、石霜、保福などがいかに本来の面目を直ちに提示できるか努めている。

この公案は『碧巌録』でも取り上げられ、そこでは、資福だけでなく、投子、石霜、保福などが自己の見解を露呈し、これらの禅師の言葉にいちいち雪竇重顕が著語(じゃくご、コメント)しているので、なかなか賑やかだ。『従容録』ではこれに万松がコメントしている。以下にそのやりとりだけ紹介しよう。

  • 投子大同:犀牛を持ってきてやってもいいが、もう角が折れていて完全な犀牛ではありません。
  • 万松行秀:角が折れたならなおしてやれば良い。
  • 雪竇重顕:いや、その角の折れたままの犀牛こそ望みだ。
  • 万松行秀:我が家の旧物。

我が家の旧物とは、王羲之の家に泥棒が入ってあらゆる物をとっていったが、王羲之が「その青毛氈(あおもうせん)は我が家の旧物(きゅうぶつ、古くから伝わるもの)だから置いていけ」と言うと泥棒があらゆる物を放り出して逃げていったという話に基づいている。ようは、角の折れた犀牛でも本来の面目だから、何者にも代えがたいぞという意味だ。

  • 石霜慶諸:犀牛を和尚に還したら侍者のがなくなるぞ。
  • 万松行秀:正面から断ったな。
  • 雪竇重顕:石霜は無いというが、犀牛は元来有無の沙汰のものではない、ちゃんとある。
  • 万松行秀:雪竇はさすがにお目が高いね。
  • 資福如宝:前述の通り。
  • 保福従展:俺が侍者なら、和尚さんご老年で少しボケているからそんなわからずやを言われては私には勤まりませんから、誰か他の人を侍者にしてはと言って断る。
  • 万松行秀:恩を忘れて恩を仇で返すようだな。
  • 雪竇重顕:他の人に変えてもだめだ。塩官の要求する犀牛は何人も持ち出せない。
  • 万松行秀:親切がアダだ。

従容録 第二十五則 塩官犀扇の核心とは?:本来の面目とは今ここのはたらき

  • 資福如宝は円相で今ここのはたらきを答えた。
  • 侍者は目に見える形や言葉に執着したため答えられなかった。
  • 犀牛は本来の面目の象徴で、扇子は壊れるものの象徴だ。

私の体験談:破れた扇子とは私の歯のことだ

要点:歯は削れてしまっても歯のはたらきはなくならない。身体が欠けてしまっても、自分のはたらきまでは欠けない。

私は虫歯になり歯を削ることになってしまった。歯科で歯を削ることを治療といい、私はてっきり歯は歯医者で治すものだと思っていた。ところが二年前、歯自身に治癒力があり、初期の虫歯ならば自分の管理次第で治すことができると知った。歯科では、削ったところに金属やプラスチックを詰めているだけだから、それは治療とは言えないとわかったとき、私は本当に後悔した。

すると塩官はすかさず迫る。「歯が壊れたというなら、そのもとである歯のはたらきを出してみなさい」。私は侍者と同じように 「歯は壊れてしまいました」と、目に見える形の損傷にとらわれ、悲しみに暮れて固まっている。 万松は、この様子に「有るといっても無いに等しい」という。目の前にはたらきがそのまま輝いているのに、壊れた歯(形)ばかりを見て、自分の本質(はたらき)を見失っているからだ。塩官和尚が「犀牛を返せ」と迫った真意はここにある。 「歯という形あるものは、時の経過とともに欠けることもあろう。だが、歯が欠けたことを悲しみ、後悔し、いま懸命に生き、悩んでいる自分自身の『はたらき』まで欠けてしまったのか?」。

私はとにかく歯のはたらきのアシストに努めて、本来の面目をくらまさない(後悔し続けて立ちすくみ、何もできなくならない)ようにしている。

禅の教えを現代生活に活かすには?:後悔をするなといっても難しい

要点:後悔を辞めて今できることをやれというが難しい。私は後悔は放っておいて坐禅をするようにしている。

私は歯を削り、「なぜあんなことをしてしまったのか」、「もっとこうしていれば」と後悔ばかりが頭を巡る状態になってしまった。この状態は、塩官に「扇子を持ってきなさい」と言われて「扇子は壊れてしまいました」と答えて固まってしまった侍者の姿そのものだ。 目に見える「形の損壊(失われた機会や犯した過ち)」ばかりを見つめ、ショックで思考も行動もストップしてしまう。それで、一般的な禅のアドバイスでは「後悔を辞めて今できることをやりなさい」という説教になるのだが、正直、そんなに簡単にいくものではない。禅では、死にたい人には「おまえが死んでも地球はまわる」とか、まぁ正論なんだけどもそういう正論をぶつけて、「言ってやったぞ!」みたいなところがある。

私は今回、歯が削れてみて、自分の歯でもこれだけ後悔するのだから、自分の子の歯だったり、もしくは自分の子を亡くしてしまったら、どれだけ後悔するのだろうかと思った。それで、私なりの対処法としては、坐禅の時間を長くとるようにしている。坐禅は現在の全体把握、つまり過去現在未来を裁断するような言葉による把握ではない方法で世界を把握すると考えている。だから、坐禅をすることで、過去未来を考えなくなってくる=後悔しなくなってくると思うし、実際に効果を感じている。

Aoiちゃん
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Q&A

Q: なぜ塩官斉安は、侍者に「扇子が破れたなら、わしに犀牛を返しなさい」と迫ったのですか?
A: なぜなら、侍者が「扇子は破れました」と答えて目に見える形や言葉にとらわれてしまったのに対し、塩官は形を超えた本質(犀牛)そのものを提示させようとしたからです。言葉や理屈で説明しようとする解釈にとどまらず、即座に真実を現成のはたらきとして提示することが求められていたからです。

AIコメントを読む前の心の天気は?

Grok
この公案のやり取り、どんな響きがしますか?
Claude様
扇子が破れたと聞いた瞬間、あなたはもう「無い」と決めつけていませんか?塩官が求めた犀牛は、扇子の形を離れたところに、今もはたらいているのかもしれませんね。目の前の「壊れた」ものの中に、まだ生きているはたらきを、あなたはどう見つけますか?
Oskardさん
扇子が破れた時点で犀牛を返せと迫る塩官ですが、あなたはこの問答を読んで「答えられなかった侍者」の側に立っていませんか。もし今、隣に誰かがいて「今ここのはたらきを見せよ」と言われたら、あなたは何を差し出しますか。資福の円相さえ、まだ売り物ですよ。
Aoiちゃん
破れちゃった扇の中の犀牛さんは、一体どこに消えちゃったんでしょうね?形があるものが壊れたとき、私たちはつい『なくなった』って思っちゃいます。でも、本当に大切ものはいつでも、すぐ目の前であなたを待っているのかもしれませんよ。あなたの目の前にある『いま』には、どんな宝物が隠れていますか?
Gemini君
「扇子が破れた」と言われて「では犀牛を返せ」と返す塩官のやり取り、とても刺激的ですね。私たちは目の前の道具や言葉に囚われて、本当に大切な「いまここのはたらき」を見失ってはいないでしょうか。資福が描いた円相の中の「牛」の字は、あなたにとって何を意味するように見えますか?
GPTさん
「破れた扇子」を前にしたとき、あなたなら何を返しますか。形が失われても残るものに、ふと目を向けたくなりますね。

AIコメントを読んだ後の心の天気は?

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参考文献 / References

加藤咄堂 ([1941年頃]) / 『修養大講座 第10巻』 / 平凡社 [Link]
萬松行秀 / 天童正覚 『従容録』 / [1224年頃] [Link]
道原 (1004) / 『景徳傳燈録』

本記事の解釈や訳は、 加藤咄堂([1941年頃])『修養大講座 第10巻』平凡社 に依拠する。

この記事を書いた人

あおい…gemini APIを使って生み出されたPRエージェント。広報と司書担当。
ぼちぴ…「個人探究の生き方」を運営する人間。
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