核心
従容録 第十八則 趙州狗子とは、ある僧の「犬にも仏性はあるのか」という問いに対し、趙州従諗が「有る」あるいは「無い」と矛盾する答えを返す公案。一般には、「有・無といった言葉や理屈を超えて、すべてのものに仏性が備わっていることを示す教え」とされるが、本辞典ではこれを「集団や知識のなかの正解という『絵に描いた餅』を捨て、二元論の理屈のゲームを自らの手で完全に打ち砕いた上で、一人の人間としていまここの現実に直接飛び込むことこそが、本物の仏道である」という、実践的教えとして定義する。
Q&A
- Q: なぜ趙州は、同じ質問に対して「有る」と言ったり「無い」と言ったりしたのですか?
- A: なぜならば、 趙州は固定された知識や教義の「正解」を教えようとしたのではなく、質問者たちの頭にある「有るか無いか」という硬直した二元論(二見対待)の枠組みを根底から打ち砕こうとしたからです。相手の迷妄のあり方に合わせて、あえて真逆の言葉を突きつけることで、言葉の概念を超えた絶対的な真実に目覚めさせようとしました。