🆕 2026-10-04 従容録 第二十七則 法眼指簾:ありのままの現れに向き合い、自分本来の姿を現す

従容録 第二十一則 雲巌掃地

従容録第二十一則:雲巌掃地。「作務と坐禅の一体性」と、「余計なことをせず目の前の作業に集中する実践」を表現した青の概念図。
従容録 第二十一則 雲巌掃地

Shoyoroku Case 21: Yunyan Sweeping the Ground

核心

従容録 第二十一則 雲巌掃地とは、庭掃除をする雲巌曇晟に対し、道吾円智が「何をそんなにせかせか働いているのか」と問いかけ、雲巌がほうきを持ち上げる公案。一般には、「掃除という日常の労働の中にこそ、仏道や最高の悟りがある」とされるが、本辞典ではこれを「坐禅という内省的な修養と、作務という具体的な労働は本来分かつことのできない一体のものであり、余計な分別や雑念を断ち切って目の前の役割に全身全霊で没頭することの中にこそ、真の道がある」という、実践的教えとして定義する。

Q&A

Q: なぜ玄沙(げんしゃ)や雲門(うんもん)といった後代の禅師たちは、この二人のやり取りを批判したのですか?
A: なぜならば、雲巌と道吾のやり取りは、唐代末期の時点で語られるほど有名だったからです。徳山系の厳しい禅風を持つ玄沙や雲門にとっては、言葉や形にとらわれているように見えたため、「理屈を説明したり、身振りで示したりすること自体がすでに不自然で、余計なお芝居である」と辛口に批判したのです。しかし、これは表現方法の問題であって、雲巌の得た境地は本質を突いています。

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参考文献 / References

加藤咄堂 ([1941年頃]) / 『修養大講座 第10巻』 / 平凡社 [Link]
萬松行秀 / 天童正覚 『従容録』 / [1224年頃] [Link]

本記事の解釈や訳は、 加藤咄堂([1941年頃])『修養大講座 第10巻』平凡社 に依拠する。

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