🆕 8/26 従容録 第二十二則 巌頭拝喝:現実では凡か聖かを自在に扱う

従容録 第二十二則 巌頭拝喝

従容録 第二十二則 巌頭拝喝の概念図
従容録 第二十二則 巌頭拝喝

Shoyoroku Case 22: Yantou Bows to the Katsu

核心

従容録 第二十二則 巌頭拝喝とは、巌頭が「凡か聖か」と問いかけたのに対し、徳山が一喝して二元論を粉砕し、巌頭が礼拝して応えた後、「私なら一方の手で持ち上げ、もう一方の手で押さえつけていただろう」と語る公案。一般には、「言葉や二元論を超えた絶対的な悟りの境地に立ち、その上で現実を自由自在に生きる境地を示すもの」とされるが、本辞典ではこれを「師と弟子が互いの境地をぶつけ合う峻烈な問答を通じて、絶対的な超越(向上)と具体的な現実への適応(向下)を自在に行き来する、自由自在の体得を示す実践的な教え」として定義する。

Q&A

Q: なぜ真理の獲得(悟り)だけではだめで、現実世界への活用が重視されるのですか?
A: なぜならば、 禅において「真理(悟り)」の獲得はゴールではなく、それを具体の生活や社会という現実世界(向下門)で生かしてこそ、初めて生きた智慧となるからです。どれほど優れた悟りを得ていても、それが日々の行動に反映されなければ、それは「死んだ教え」になってしまいます。巌頭が「持ち上げ、押さえつける」と語ったように、絶対的な真理(向上)を知った上で、目の前の現実を自由自在に動かす(向下)ことのなかにこそ、本当の自由と実践があるからです。

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参考文献 / References

加藤咄堂 (1941年頃) / 『修養大講座 第9巻』 / 平凡社

本記事の解釈や訳は、 加藤咄堂(1941年頃)『修養大講座 第9巻』平凡社 に依拠する。

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