五観の偈(ごかんのげ):原文と読み下し・現代語訳
五観の偈:食事には、宇宙のような広大な関わり合いがある
五観の偈とは?:食事の前に唱えられる偈文
要点:五観の偈は現代は和文で唱えられるが、元は漢文だった。食事をする最大の目的は、仏道修行を成就し、悟りを得るためである。この偈文は、食材のがどこから来たのかという無数の背景を観想することで、自分という存在がいかに広大な関わり合いの中に生かされているかを自覚し、仏道修行を成就するという誓いである。
五観の偈は、一般の参禅者向けにリーフレットが置いてあるくらい、ポピュラーなものだ。なぜならば、古い形式ではあるものの、漢文ではなく日本語なので、日本人が聞いて何を言っているのかおおよそわかるからだ。それで、禅寺では、参禅者全員にこのリーフレットが配られ、みんなで唱和することになる。
注意点は、音便変化により「全欠を」を「ぜんけっと」と読むところだ。はじめてきた参禅者はそれを知らないので、必ずと言っていいほどここで周りと合わずに目立ってしまう。
それで、今回の「五観の偈」は和文として整理されているが、元は漢文だった。五観の偈の思想的源流は、唐の道宣撰『四分律刪補隨機羯磨』巻下に示される『正食五観』に見ることができる。同書において道宣は、食事を単なる栄養摂取ではなく、僧侶の戒律および修行のあり方と直結する儀礼として位置づけ、『初計功多少量藥來處……』と五観の項目を具体的に列挙している(出典:『四分律刪補隨機羯磨』巻第十七下(唐・京兆崇義寺沙門道宣集)「衣藥受淨篇第四」|SAT大蔵経 No.1808)。
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計功多少、量彼來處(功の多少を計り、彼の来処を量る) この食事が提供されるまでに、どれだけの労働や命が費やされたのか、その功績の多寡を計り、食事が手元に届くまでのプロセス(生産から流通まで)に深く思いを致すこと。
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自知行徳、全缺應供(己が徳行の、全欠を忖って供に応ず) 自分自身の現在の修行や徳行が、この食事を頂くのにふさわしいものかどうかを省みること(自分の徳が全きか、欠けているかを見極めること)。
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防心離過、貪等爲宗(心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす) 食事に対する過度な執着(好き嫌いや飽食などの貪り)を捨て、心に生じる煩悩を抑えることを基本とすること。
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正事良藥、爲療形苦(正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり) 食事を単なる快楽の対象とはせず、肉体の飢えや病を癒し、健康を維持するための「良薬」として捉えること。
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爲成道業故(成道の為の故に) 食事をする最大の目的は、仏道修行を成就し、悟りを得るためであると自覚すること。
このように、この偈文は、食材のがどこから来たのかという無数の背景を観想することで、自分という存在がいかに広大な関わり合いの中に生かされているかを自覚し、仏道修行を成就することを誓う役割がある。
核心
- 食事をする最大の目的は、仏道修行を成就し、悟りを得るためである。
- この偈文は、食材のがどこから来たのかという無数の背景を観想することで、自分という存在がいかに広大な関わり合いの中に生かされているかを自覚し、仏道修行を成就すると誓うための偈文である。
- 五観の偈とは、食事の前に唱えられる偈文である。
私の体験談:私は恵みに応じた生活ができているのか?
要点:私は、いろいろな人々の関わり合いで成立している。恩恵にかなった行いができるよう、心がけたいし、なにか寄与できるようなことをしたい。
今回収録したYoutubeの動画はこの五観の偈をイメージして作成したものである。動画では、味噌汁の背景に、食材を育ててくれた農家の人や食材を運ぶ物流の人が描かれている。私は、食事をいただくとき、これはどういう人が作ってくれて、どんな人達が運んでくれたのかなぁと思うようにしている。
ジョン・ミューアの言葉で「たった一輪のスミレのために、地球は回り、風が吹き、雨が降る」というものがある。私の味噌汁も、これと同じなのだ。
私は、いろいろな人々の関わり合いで成立している。だから、ほぼ一人で一日過ごしているが、寂しいとは思わないのである。その恩恵にかなった行いができるよう、心がけたいし、なにか寄与できるようなことをしたい。
Q&A
- Q: なぜ、食事の目的を「悟りを得るため」と定義する必要があるのですか?
- A: なぜならば、食を「快楽」や「惰性」の対象にしてしまうと、私たちは心に貪りや執着を生み出し、迷いの中に留まってしまうからです。食事を「成道(悟り)のための良薬」と位置づけることで、己の煩悩を律し、自分も宇宙の一員であると感じることができます。
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