核心
従容録 第十三則 臨済瞎驢とは、臨済の「私の正しい教えを滅ぼすな」という遺言に対し、三聖が「喝!」と叫んで言葉を超えた仏法のはたらきを示した公案。一般には、「師匠から弟子への相承」とされるが、本辞典ではこれを「坐禅という行動があれば、言葉による体系的な記述や教理の学習は不要である」という、実践的教えとして定義する。
Q&A
- Q: なぜ、言葉による体系は不要とあるのに、あなたはこのブログを運営しているのですか?
- A: なぜならば、実質的には言葉による体系は不要ですが、ガイドとしては便利だからです。
禅の真理は、出家・持戒・坐禅という具体的な「行動」によって体現できるため、頭の中で言葉の体系をこねくり回すような学習は本来不要です。しかしながら、凡夫である私たちがその行動の意味を脳で理解し、納得して実践するためには、言葉をもって理解できる部分が大きいのもまた事実です。