仰惟三宝偈(にゃんに さんぼう げ):原文と読み下し・現代語訳
仰惟三宝偈:修行者による仏や菩薩たちへの宣言
仰惟三宝偈とは?:食事をいただく際に読まれる偈文
要点:仰惟三宝偈とは、食事をいただく際に読まれる偈文だ。私はこの偈を、「いまからこの行為を仏道として成立させるための宣言」として読む。
仰惟三宝偈とは、食事をいただく際に読まれる偈文だ。禅では、食事は重要な修行だ。一同で展鉢の偈(てんぱつのげ)を唱えた後、この偈文を維那(いの/読経のリーダー)だけが唱える。そして、その後、十仏名(じゅうぶつみょう)を一同で唱える。
以前、節が有る珍しい十仏名を公開したので、今回は節無しの十仏名を収録した。実は、この偈文には名前がない。名前がないので、便宜のために「仰惟三宝偈」とした。
それで、仰をにゃんと読むのがすごく不思議だと思うのだけども、これは古代中国では、王朝により漢字の読まれ方が違うからだ。
語句
- 仰惟(にゃんに)…仰ぎ惟(おも)うという意味。「仰」は敬って見上げること、「惟」は思う・考えることを意味する。
- 三宝(さんぽう)…仏・法・僧の三つの宝のこと。仏(ぶつ):仏陀(覚った者)、法(ほう):真理や教え、僧(そう):修行共同体
- 咸賜(あんす)…「咸」は皆・ことごとく、「賜」は与えるという意味。
- 印知(いんし)…「印」は証明、「知」は知ること。
- 仰憑(にゃんぴん)…「仰」は敬って仰ぐこと、「憑」は頼る・よりどころとすること。
- 尊衆念(そんしゅうにゃん)…「尊衆」は尊い聖衆のこと。「念」は心にかけること、見守ること、念護することを意味する。つまり「尊衆念」とは、諸仏・諸祖・聖衆の念護のこと。
今回、この偈文の一般的な訳を掲載した。
仏・法・僧の三宝のもとに、どうかこの願いをお認めください。尊き衆々(仏・菩薩方)のお力に、私たちは深く依り頼みます。
しかし、主体性を重視する禅において、「認めて欲しい」や「依り頼む」という表現は合わないのではないかと考えた。
そこで、私はこの偈を、「いまからこの行為を仏道として成立させるための宣言」として読む。
核心
- 私は仰惟三宝偈を、いまからこの行為を仏道として成立させるための宣言として読む。
- 禅では食事は重要な修行だ。
- 仰惟三宝偈とは、食事をいただく際に読まれる偈文である。
私の体験談:宣言はどこでも
要約:仰惟三宝偈は儀礼としては食事の前に読まれるが、その意味は特定の場面に固定されるものではないと私は考える。
昔、私がいた道場に猫を亡くした人が供養してほしいと頼みに来たらしい。
ちょうど対応したのがまだ一年目で、あまり詳しくない人だった。何をしてよいのか分からなかったので、とりあえず「にゃんだから(猫の鳴き声に似ているから)」という理由で、この偈文を読んだらしい。
これは私がいた道場では、「これは食事の時の偈文だ」という伝統的な理解から、笑い話として伝えられている。しかし私は、上で見た意味から考えると、この偈文は食事の時だけに限らず、わりと広く使える偈文だと思う。
だから、猫が亡くなって、お経を唱え、その後にこの偈文を唱えるというのも、あながち笑い話ではないのではないかと思う。
Q&A
- Q: なぜ、伝統的な偈文を「自分自身の宣言」として読んでいるのですか?
- A: なぜならば、伝統を「受け継ぐもの」であると同時に「自分で創り直すもの」と考えているからです。禅では主体性を重視しますので、偈文やお経についての意味を考え、自分自身の修行に反映させることは重要です。
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