地蔵桂琛:知らないでいることこそが、本質に直に接している
従容録 第二十則 地藏親切
擧。地藏問法眼。上座何往。[羅織人作麼]眼云。迤邐行脚。[索草鞋錢去也]藏云。行脚事作麼生。[果然放不過]眼云。不知。[何不早恁麼道]藏云。不知最親切。[就身打劫]眼豁然大悟。[險費盤纒]
従容録 第二十則 地藏親切 白文
舉(こ)す。地藏(じぞう)、法眼(ほうげん)に問(と)う。上座(じょうざ)何(いづ)くにか往(ゆ)くや。[人(ひと)を羅織(らしょく)して作麼(なに)にかせん] 眼(げん)云(い)わく、迤邐(いり)として行脚(あんぎゃ)す。[草鞋銭(そうあいせん)を索(もと)め去(さ)るや] 藏(ぞう)云(い)わく、行脚(あんぎゃ)の事(じ)作麼生(そもさん)。[果然(かぜん)として放不過(ほうふか)] 眼(げん)云(い)わく、不知(ふち)。[何(なん)ぞ早(はや)く恁麼(いんも)に道(い)はざる] 藏云(ぞうい)はく、不知(ふち)最(もっと)も親切(しんせつ)。[就身打劫(しゅうしんたこう)] 眼(げん)、豁然(かつねん)として大悟(たいご)す。[險(ほと)んど盤纏(ばんてん)を費(ついや)さんとす]
従容録 第二十則 地藏親切 書き下し文
舉す。
地蔵が法眼に尋ねた。
地蔵:上座は、どこへ行くのか? [人を陥れてどうしようというのか]
法眼:あちこちをぶらりと修行して回るのです [草鞋銭を催促して去っていくのか]
地蔵: その行脚とは、なんのためなのか? [やはりそのまま見過ごすことはできない]
法眼:知らない。 [なぜもっと早くそのように言わなかったのか]
地蔵:知らないでいることこそが、一番親切なのだ。 [身をかすめ盗るようなものだ]
それを聞いた法眼は、ハッと大きく悟りを開いた。 [危うく旅費を無駄にするところだった]従容録 第二十則 地藏親切 現代語訳
用語集:本記事で使われる仏教・禅の用語とは?
- 親切(しんせつ):現代の対人関係の優しさではなく、自分自身にとって最も身近で切実であること、本質に直に接していることを意味する。
- 上座(じょうざ):僧侶の階級の一つ。法戦式を終えて首座になる前の修行僧。首座を経験すると座元となる。当時は二十〜四十年ほど修行を積んだ者を指した。
- 行脚(あんぎゃ):修行僧が道場を巡る旅をすること。
- 草鞋銭(そうあいせん):行脚する修行僧に道場主が持たせた旅費のこと。
- 安居(あんご):一定期間、道場に定住して修行すること。
地蔵親切の登場人物とは?:地蔵桂琛と法眼文益
登場人物は、地蔵桂琛(じぞう けいちん)と法眼文益(ほうげん もんえき)である。
地蔵桂琛とは?:飾り気のない現場派禅師
- 出身と家系: 常山(現在の浙江省)出身で、俗姓は李氏。
- 幼少期: 幼い頃から一日に一度の素食(菜食)を続け、言葉に非凡なところがあった。
- 出家と修行: 本府の万歳寺にて無相大師に師事して出家し、具足戒を受けたあとは律蔵を学んだ。
- 悟りの経緯: 修行の旅に出て雲居道膺や雪峰義存を訪ねたが、最終的に玄沙師備のもとで「三界唯心(三界はただ心の現れである)」の真意を問答を通じて悟り、その法を継いだ。
- 住持: 閩(現在の福建省)の王氏が城の西に建てた地蔵院に招かれ、後に漳州の羅漢院に移って多くの学徒を指導した。
- 遷化(没年): 後唐の天成3年(928年)秋、62歳(法臘40年)で閩の城にて示寂した。
- 諡号: 真応禅師(景徳傳燈録 卷第二十一(No. 2076 道原纂) in Vol. 51)。
法眼文益とは?:世界の仕組みを読み解く理論派禅師
- 出身と家系: 余杭(現在の浙江省杭州市)の出身で、俗姓は魯氏。
- 出家と修行: 7歳で新定の智通院にて全偉禅師に師事して出家し、越州の開元寺で具足戒を受けた。
- 学問: 律学に精通し、育王寺の希覚師のもとで儒教の経典や文雅も学び、「わが門の遊夏(孔子の秀才門弟)」と称賛されるほどだった。
- 悟りの経緯: 行脚の途中で大雨に見舞われ、一時的に地蔵院に身を寄せた際、地蔵桂琛から「不知(知らないということこそが最も本質に近い)」という一言を受けて大悟し、桂琛の法を継いだ。
- 住持: 臨川の崇寿院に住んだ後、金陵(南京)の報恩禅院、さらに清涼院へと移った。
- 遷化(没年): 後周の顕徳5年(958年)7月、74歳(法臘54年)で示寂した。
- 諡号: 大法眼禅師(または浄慧禅師)(景徳傳燈録 卷第二十四(No. 2076 道原纂) in Vol. 51)。
もともと法眼は、長慶慧稜のもとで修行をしていた。その後の地蔵桂琛との問答が今回の則となる。長慶慧稜の禅風は現象世界そのものを真理の現れとして肯定的に捉えるのに対し、玄沙師備ー地蔵桂琛の禅風は徹底した現実主義だ(宋高僧傳 卷第十三(No. 2061 賛寧等撰) in Vol. 50)(景徳傳燈録 卷第二十一、二十四(No. 2076 道原纂) in Vol. 51)。
法系図
- 徳山宣鑑ー雪峰義存ー長慶慧稜
- 徳山宣鑑ー雪峰義存ー玄沙師備ー地蔵桂琛ー法眼文益
時系列
- 該当記事:従容録 第二十則 地蔵親切:知を尽くして不知に至る(雨宿り時の地蔵と法眼の問答)915年〜928年頃
- 関連記事:従容録 第十二則 地蔵種田:ただ坐ればよいという参究なき禅と飽参の人(行脚の旅後の地蔵と脩山主の問答)915年〜928年頃
- 関連記事:従容録 第二十七則 法眼指簾:ありのままの現れに向き合い、自分本来の姿を現す(法眼がすだれを指す問答) 940年〜958年頃
- 関連記事:従容録 第十七則 法眼毫釐:歩む道は無差別だが、歩み方には差別があり、それがそのまま無差別の様相を現している(成長した法眼と脩山主の問答)940年〜958年頃
- 関連記事:従容録とは何か?―社会的価値に縛られず、本来の自分として生きるための禅(万松行秀が『従容録』を完成させる)1223年頃
禅の常套句とは?:自己とは何か、どこから来てどこへ向かうのかという存在論的な問いの型
さて、本則に入ろう。地蔵は、雨宿りに飛び込んできた、法眼に対して、「上座(じょうざ)は、どこへ行くのか?」と訪ねた。これは、「急に雨が降ってきて、さぞお困りだろう。しかし上座は、雨があがったら、どちらに行くつもりかな」、という意味だ。上座というのは、僧侶の若手の階級だ。当時は二十年から四十年の修行をした人をさした。だからこの時の法眼は三十前後の若者だったと思われる((四分律刪繁補闕行事鈔 卷下之三(No. 1804 道宣撰) in Vol. 40))。
日本では「どちらへおでかけですか」というのは世間話の常套句だ。同じように、禅問答においても、「どこから来たのか?」や「どこへ行くのか?」というのは、よくある常套句だ。この「どこから来たのか?」は、相手の悟りの境地や修行の深さを試す常套句だし、「どこへ行くのか?」は将来の到達点や答えを求める姿勢を問う常套句であって、返答によって「今、ここでどう在るか」を重視する方向へもっていく。これらの常套句は、「自己とは何か、どこから来てどこへ向かうのか」という存在論的な問いの型として機能している。
万松行秀は、[(まるで無実の罪を着せるように)人を陥れてどうしようというのか]とコメントしている。これは、法眼はどこへいっても構わないのに、余計な詮索だな、という意味だ。
法眼の答えとは?:知らない
そこで法眼は、地蔵の質問に対して「あちこちをぶらりと行脚(あんぎゃ)して回るのです」と、相手を小馬鹿にしたような口調で答えた。行脚とは、あちこち道場を訪ねてまわることだ。万松は、[草鞋銭(そうあいせん)を催促して去っていくのか]とコメントしている。草鞋銭というのは旅費のことで、道場主が、訪ね歩く修行僧たちに持たせることがあった。つまりは、さては草鞋銭稼ぎのひやかしか!?という意味だ。
地蔵は「その行脚とは、なんのためなのか?」と問うた。ぶらぶら行脚しているとはいっても、なにかしら目的があるんだろう?という意味だ。万松は、[やはりそのまま見過ごすことはできない]とコメントしている。これは、さすがの地蔵だ、逃さないつもりだな、という意味だ。これに対して法眼は、「知らない」と答えた。これは、うるさいじいさんだなぁ、地蔵院に安居(あんご、一定期間定住して修行すること)するために来たわけじゃあるまいし、どこへ行ったってこっちの勝手だろう?根掘り葉掘り聞くなよ、という意味だ。万松は、 [なぜもっと早くそのように言わなかったのか]とつっこんだ。これは、最初にそう言っておけば、うるさくなくてよかったのになぁ、という意味だ。
地蔵桂琛の真意とは?:知らないことが最も本質に接している
地蔵は「知らないでいることこそが、一番親切なのだ。」と答えた。
これは、それだよ、それ、その、「知らない」ことが最も道に親しいところなんだよ、これからの行脚のことは「知らない」と答えるのがぴったりだね、という意味だ。万松は、[(不意を突いて)身をかすめ盗るようなものだ]と評価した。これは、地蔵は不意をついて、法眼の言葉から、その意図からなにからかすめとってしまったという意味だ。法眼は、なにげなく言ったもののまさかこのような返答が返ってくるとは思っていなかったのだろう。
こうして法眼は、地蔵の「知らないでいることこそが、一番親切なのだ。」という言葉を聞いて、カラリと悟りを開いてしまった。万松は[危うく旅費を無駄にするところだった]とつっこんだ。これは、危うく無駄足を踏んで迷い続けて、せっかくの機会をパァにするところだったなぁ、よかったなぁという意味だ。
それでは何も学ばなくていいのか?:学びきった不知と、何も学ばない不知の差
ところで、法眼が地蔵の一言で大悟したからといって、誰もがそうなるかと思えばそうはならない。なぜならば、法眼には既に十年、二十年の経験があるからだ。これは、もうほとんど悟るところまで来ていたところを、地蔵が一押ししただけ、と喩えることができる。こうした地蔵の穏やかな指導方法は、法眼にも受け継がれているのである。その穏やかな指導を以下に掲載した他の則でもみることができる。
また、「知らないでいることこそが、一番親切」だからといって、何も学ばないでいいのかというとそうではない。それは、これ以上無いくらい学びきった「不知」と、一切なにもしていない「不知」とでは、大きな差があるからだ。これらについては、以下の関連記事でも詳しく述べている。
関連記事:従容録 第十二則 地蔵種田:ただ坐ればよいという参究なき禅と飽参の人(地蔵と法眼の出会い)
関連記事:従容録 第十七則 法眼毫釐:歩む道は無差別だが、歩み方には差別があり、それがそのまま無差別の様相を現している(法眼による脩山主への指導)
従容録 第二十則 地蔵親切の核心とは?:知らないでいることは、道に接している
- 地蔵は「知らないでいることこそが、一番親切なのだ。」と言った。
- 親切とは、自分自身にとって最も身近で切実であること、本質に直に接していることを意味する。
- 地蔵桂琛の禅風は徹底した現実主義だ。
私の体験談:やる気のある秀才は禅の道場で苦労する
禅の道場にはいろいろな背景の人がやってくる。現代では9割が世襲により、家業を継ぐためにやってくる人たちだ。だからしかたなく、嫌々来る人も多い。しかし、中には、珍しく禅を志してやってくる人もいて、こうした人は高学歴な傾向がある。
秀才タイプの人たちは、禅の道場で苦労をする。まず、ネットであれこれ事前に調べているので、禅に対する理想が先にあって、その理想とのギャップで悩んでしまう。また、禅の道場では、とにかく生活様式に溶け込むことが大切だ。それは暗記し、考えて取り組むというよりは「周りを見て覚える」能力が重要で、これについて秀才はかなり弱いのである(逆に体育会系は強い)。また、各儀式は芸事だから「やってみて覚える」ということも重要だ。だから、やる気のある人(理想のある人)のほうが禅の道場では馴染みやすいのかというとそうではなく、やる気がない人(理想がない人)のほうが禅の道場では早く馴染むのだ(しかし嫌で嫌で仕方がない人は、やはりついていけない)。
これは、現代の道場においては、集団行動さえできればそれで済んでしまうことを意味する。しかし、何年か安居(道場に定住)し、後輩の指導役や、あれこれ決める立場になると、やる気のある高学歴な人たちは考えて対処するので、的確で穏和な指導をし、能力が発揮される傾向がある。
さて、古典を読む限りでは、かつての修行道場では今ほど学問的な素養が無視されているわけではなかったようだ。とはいうものの、法眼も、学問的な素養がある人なので、考えて対処することから抜け出すために、それなりに苦労したのではないかと思われる。
そこで、地蔵の「知らないことは最も本質に接する。」という答えは、法眼をさぞハッとさせたことだろう。私はこれを読んだ時、法眼の若い顔の瞳に光が差すのが浮かんだのである。
禅の教えを現代生活に活かすには?:知ることと知らないことをセットで吟味する
「知らないことが最も本質に接する」とはいうものの、法眼も地蔵も、学問的な研鑽を積んだ前提があるのであって、まるきり学問が不要だ、という意味ではない。また、このことは反知性主義や、思考停止につながってしまう。実際、私が修行していた道場でも、「考えないで従うことが大切だ」という方針だったし、考えて疑問を持ちあれこれ質問する人は嫌がられる傾向にあった。これは、単に禅にかこつけた、管理のしやすさによるものなのだろう。
だから、「考えること」と「考えないこと」、「知ること」と「知らないこと」をセットで吟味する必要があるのである。
「知ること」と「知らないこと」の具体例とは?:教育現場での実践
私は、日頃、教える仕事をしているので、それを例に挙げてみよう。
- 知ること
- 担当科目の内容の知識
- その子どもの習熟度
- 親の要望
- 考えること
- どのように教えたら良いか
- どのくらい課題を出したら良いか
- 知らないこと
- 理想像
- 完成像
- 考えないこと
- 合格させなければいけない
- 成績を上げなければいけない
担当科目の内容の知識がないと、そもそも教えることができないので、これはいうまでもない。他に、子どもがどれくらいわかっているかや、親がどこまで望んでいるかは知る必要がある。また、仕事中、どのように教えたら良いか、どのくらい課題を出したら良いかは、目の前の子供の様子をみて、その時その時対応する。
それでは、知らないこと、考えないことが問題になる。私が担当した子どもで、大変優秀な子がいた。私からしたら、「この子をこういうふうにしたい」、「こうなって欲しい」という理想が湧いてしまう。私は、その優秀な子がある職業に就きたいと言った時、優秀なあなたが選ぶ職ではないと言ってしまい、その場で謝罪した。親や教育者であったら、誰でも経験があるのではないだろうか。だから、あえて、なにかレールのようなもの、完成像、理想の行き先を捨てるのである。
また、「合格させなければいけない・成績を上げなければいけない」ということも考えないようにしている。私は若い頃、合格や成績向上は、当たり前だと思っていた。しかし、よく考えてみると合格や、成績向上なんて、保証できるものなのだろうか?試験当日の生徒の腹痛まで責任取れるものではない。よく、難関大学合格!や成績向上!というのを謳い文句にしている人は多いが、これは「この壺を買ったら合格する」という謳い文句と同じくらいの眉唾物な宣伝だと思う。だから、合格するような歩き方は指導はするけれども、合格という理想の行き先は捨てるのである。
これをたとえると、大工はすでにデザインされた家を建てようとするのではなく、臨機応変に手を変え品を変え、現場に応じて建て方を変え続けるということである。
Q&A
- Q: なぜこの公案の教えを、単なる「無知や思考停止を良しとする反知性主義」として捉えてはいけないのでしょうか?
- A: なぜならば、法眼自身がそれまでに膨大な律学や儒教の研鑽を積み、十年以上の修行をくぐり抜けてきたという背景があり、その「学び尽くした果て」の不知と、一切学ばない素朴な無知とでは決定的な差があるからです。
AIコメントを読む前の心の天気は?