散華の偈(さんげのげ):原文と読み下し・現代語訳
散華の偈:祈りのために高価な蓮を代用する様々な工夫
散華の偈とは?:仏を供養するために華を撒き散らす際に唱える言葉
要点:散華の偈とは、仏を供養するたために花びらを撒き散らす際に読む偈文のことだ。荘厳(しょうごん)とは、仏を美しく飾ることだ。
散華の偈とは、仏を供養するたために花びらを撒き散らす際に読む偈文のことだ。
語句解説
- 散華荘厳 遍十方…散華荘厳とは、花(華)を撒いて美しく飾ること。遍十方とは、十方のあらゆる方向にということ。
- 散衆宝華 以為帳…散衆宝華とは、宝のように尊い幾多の花を散らすこと。以為帳とは、撒いた花を天蓋や帳(とばり)として用いること。
- 散衆宝華 遍十方…宝のように尊い幾多の花を十方のあらゆる方向に散らすこと。
- 供養一切 諸如来…供養一切とは、すべての仏に捧げ物をすること。諸如来とは、あらゆる如来のこと。
偈文中にある、荘厳とは、 仏を美しく飾り、仏の徳を装飾品などで表すことだ。よく、僧侶は立派な袈裟ばかり着ていて良くない、といわれるが、これは僧侶を飾っているのではなく仏を飾っているのである。祈祷の際に、派手な袈裟が用いられるのにはそういう意味がある。しかし、本来の袈裟の意味(糞掃衣=不要になったぼろ裂を洗い清め、重ね合わせて縫い綴った袈裟)からいえば、ぼろの衣をまとっていたほうが、本来の仏教的な態度を表せるといえる。
帳(とばり)とは幕のことであり、たくさんの蓮華の花を散らし、それを幕や覆いのようにして仏を装飾して称えるという意味だ。
如来(にょらい)とは悟りを完成させて真理そのものとなった人のことだ。これは称号として、同じような意味に仏陀(ぶっだ)がある。どう違うのかというと、仏陀は悟りを取得した人、如来は悟りを取得した人への尊称だ。
例:田中さんは博士号を取得し、田中博士となった。
田中さんは仏陀となり、田中如来となった。
◯田中如来
✕田中仏陀
散華の仕方:蓮の花びらを撒き散らす
柄炉(へいろ)を持って香りを振りまいてまわる人、洒水をする人、花皿を持って花びらを撒く人で三人で道場をまわる。花びらを撒く人は、花びらの載った花皿を持ちながら、花びらを振り撒く。
使う道具は、柄炉(へいろ):着火された炭の上に香木の破片がのせられた香炉、洒水器(しゃすいき):松の枝の添えられた加持された水の入った器、華皿(はなざら):花びらののった大皿だが、柄香炉(えごうろ)と呼ぶ寺院もある。
導師(儀式を主祭する人)が一人の時は、香を焚き、洒水文を唱えながら一人で洒水をするのだが、人数が揃うならば、香を焚く人と、洒水をする人と、花皿を持つ人で、四角く道場を回る。これは浄道場と呼ばれる。
浄道場
- 洒水文
- 散華の偈
泥中不染精神:蓮の花に込められた願い
要点:蓮は仏教の象徴であるが、大賀蓮の発見以前は日本で手に入らなかった。
蓮は、泥の中に根を張りながらも、泥に汚れることなく、清らかな花を咲かせる。迷いや煩悩に満ちたこの世(泥)にあっても、それに染まらずに悟り(花)を開くという、仏教の最も核心的な教えを象徴している花だ。
蓮は、稲作と同時期にインドから日本へとやってきて、仏教伝来以降はこのように象徴として尊ばれたようだが、絶滅してしまい、1951年になって大賀博士により2000年眠っていた種が芽吹いた(参考:千葉市の花、大賀蓮(千葉市))。
蓮を日常に:蓮の代替として用いられてきた樒
要点:日本では、蓮の代わりに樒(シキミ)が利用されてきた。
このように、1951年以前は蓮は日本で自生していなかったので、儀式に持ち込むのはなかなか難しい。そこで、真言密教などでは、樒が蓮の代わりとして珍重された樒は常緑であり、そのへんの山で茂っていて、蓮より断然気楽に使うことができる。また、形が青蓮華に似ているということから、伝説では、鑑真が日本で持ち込み、空海が珍重したと言われる。こうしたことから、蓮の代わりに紙の花びらを使うように、樒の葉を使って代用することも可能だろう(参考:シキミの役割(中央学術研究所紀要))。
実際の現代の寺の儀式では、紙で似せた蓮の花びらを使っている。信徒は紙の蓮の花びらを持ち帰ることもある。このように、実際に花を撒くかどうか?というよりも、心持ちが大切だということだ。
核心
- 日本では、蓮の代わりに樒(シキミ)が利用され、樒はわたしたちの生活を清浄に保つことを助けてくれる。
- 蓮は仏教の象徴であるが、大賀蓮の発見以前は日本で手に入らなかった。
- 散華の偈とは、仏を供養するたために花びらを撒き散らす際に読む偈文のことだ。
私の体験談:現代生活における樒の活用法
要点:樒は蓮の代替として利用されてきた。樒は、わたしたちの生活を清浄に保つことを助けてくれる。
蓮は非常に貴重で高価であるから、なかなか日常的に使うというのは現実的ではない。実際に、現代の寺院では紙で蓮の花びらを模して、その裏に六波羅密などついての仏教小話を書き込んで撒くことが多い。私は、実際に蓮田から、蓮の種をもらってきたことがあるのだが、芽吹かせるのが精一杯で、花を咲かせるまで育てるのは至難の業だ。
そこで、私は樒を生活に取り入れている。樒の葉には、「アニサチン」という強力な毒素や、「シキミ酸」が含まれていて、この毒素と揮発性成分が非常に高い抗菌・防腐・消臭効果を持っている。古代においては、樒は死体の匂いを緩和したり、死体に近づく動物避けとしても活用されていたようだ。また、樒には、空間のカビを抑える高価もや虫除けの効果も期待できる(参考:シキミ酸について(沖縄工業高等専門学校)、参考2:シキミの役割(中央学術研究所紀要))。
樒を狭い空間に花瓶に挿しておくと、気分がシャキッとするような香りが充満する。この香りは、大脳辺縁系に直接信号を送る。大脳辺縁系は、感情や記憶・生理的制御を司っている。樒の葉は、落ちたとしてもまだ方向を放つため、私は、落ちた葉をまとめて部屋の片隅においているくらいである(樒は食べてしまうと非常に危険なので、家族やペットのいる人はやってはいけない)。
樒の代用樹としては、常緑であることと、芳香性を持つことが条件である。無理に蓮や樒を輸入しなくても、あなたの土地にある植物を活用することで代用することができる。樒の代用として、月桂樹や、ジュニパー、サイプレスなどが挙げられる。これは、キリスト教でよく用いられる樹木だ。宗教や土地は違えど、「芳香と常緑をもって場を清める」という知恵は、人類共通の願いなのだろう。無理に遠くのものを輸入せずとも、身近な植物の中に「清浄」を見出すことは、現代の生活を仏道に変える最初の一歩だと感じている。
Q&A
- Q: なぜ他の宗教で使う植物を代用樹として提案するのですか?
- A: なぜならば、儀式の形式が重要なのではなく、精神性が重要だからです。日本の寺院と同じ形式にしようと、無理に輸入するのは仏教の精神の本質ではありません。精神性は輸入するべきですが、形式はその土地のものを利用することで代用できます。私も、月桂樹や、ジュニパー、サイプレスといった芳香性の植物が、キリスト教で用いられていると知って驚きました。
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