従容録第十四則廓侍過茶:返事をしないことが返事——反応しないことで主導権を握る

いい気になってからかってくる人に、どう向き合えばよいのだろうか。

正面から言い返すべきか、それとも受け流すべきか。

その判断は、相手ではなく自分の在り方にかかっている。

今回は『従容録』第十四則「廓侍過茶」を通して、その在り方を見ていく。

目次

Summary:A man of true wealth refrains from quarrels.

Tokusan did not get angry at the harsh words of Kaku.
He stayed quiet or gently touched his back.
Kaku became proud because of this.

But this was not simple kindness.
It was like a strong tiger hiding its head and sitting still.
This way, he could control the other person without fighting.
It is the method of a true master.

真に豊かな人は、争わない

廓侍者:諸聖は、どの方へ向かって去っていくのでしょうか?

徳山:なんだ、なんだ。

廊侍者:飛龍馬を勅點してみたら、跛鼈が出てきてしまいました。

徳山はそのまま黙って、立ち去った。
日が経ち、徳山が入浴から戻ると、廓侍者は茶を通して徳山に差し出した。

徳山は廓の背を一度撫でた。

廓侍者:この老人にして、初めてちらりと理解したことだ。

徳山は再び黙り、立ち去った。

この則は、廓侍者が徳山宣鑑に茶を出した話だ。

ここで、過茶とは、茶を渡すという意味だ。

廓侍者がどんな人であるかは明確ではないが、臨済の門下の守廓のことであると想定できる。

守廓は、生涯住持とならなかったようで、どのような人なのかわかっていないが、侍者というのは、高僧に近侍する僧役のことで、重役だから、力量は相当な者であったようだ。

徳山宣鑑は、もとは剣南(四川省)の人で、周という苗字だったようだ。

早くから出家して、特に金剛経に卓越していた。

たまたま湖南江西地方に、禅というものがあると聞いて、道場破りのつもりででかけてきたが、途中老婆に出会い(従容録第十則台山婆子)、その後龍潭祟信禅師のもとで修行し法嗣(ほっす、法を嗣ぐこと)となった。

廓侍者が「諸聖は、どの方へ向かって去っていくのでしょうか?」と聞いた。

諸聖というのは、今日までに出た聖者のことで、釈迦以前にも無数に仏があるとされる。

切言すれば、本来の面目(大きな宇宙や大きな生命の流れの中にある私)のことでもある。

『楞厳経』には、一つの心の中には、聖者(仏や祖師)だけでなく、すべての生き物や草木、大地まで、あらゆるものが映し出されていると説かれている。

そして、この問いは廓侍者より前に、ある僧によって、雲巖(徳山より先輩、洞山良价の師)に「諸聖は、どの方へ向かって去っていくのでしょうか?」と既になされたものだ。

雲巖は「なんだ、なんだ。」と答え、徳山の答えと全く同じだ。

廓侍者はこの過去の問答を知っていて、徳山ならどう答えるか?と徳山を試したのだ(相手を試すことを験主問という)。

徳山も、それに気がついて、同じ答えを返したわけだ。

それで、廓侍者は「飛龍馬を勅點してみたら、跛鼈が出てきてしまった。」という。

龍馬とは、抜群の駿馬のことで、跛鼈とは、鈍馬のことだ。

勅點とは、天子が天下に命令して名馬を徹集することだ。

つまり、駿馬を得ようとしたら、鈍馬が出てきてしまった(おまえはたいしたことないな、という風)と徳山にいうわけだ。

この廓侍者の毒舌に対して、普通は怒り狂うところを、徳山は黙って済ませてしまった。

今で言う、いわゆる金持ち喧嘩せず、だ。

その翌日、徳山が入浴して出てきたところへ、廓侍者は香ばしい一杯のお茶を持ってきた。

徳山は、満足げに廓侍者の背中をすっとなでた。

しかし、これは表面上であって、実は廓侍者をいい気にさせたまま突き落とすという態度だ。

それも知らず、廓侍者は「この老いぼれ、やっと気がついたな」と高飛車な態度。

徳山はまた黙って打ちやった。

これは徳山が、廓侍者にやられてしまったのだろうか?

いや、猛虎が頭を引っ込め尾を巻いてうずくまった形であり、全く穏やかではない。

このやり方は、手をくださずして相手を取っちめる名人の腕前なのである。

徳山は、徳山の高弟の巖頭全豁(がんとうぜんかつ)にも休し去る(黙って立ち去る)の態度を取ったことがある(従容録第五十五則)。

私の体験談

私はnoteでも禅の解説をしている。

コメントをしてくれる人がいて大変ありがたいのだが、中には挑発する内容もあった。

私は、それでもなにかにつながれば、と思い誠意をもって返信していたのだが、結局この人は禅に感心があるのではなく「ただ批判したいだけ」ということに気が付き、誠意を持った返信は無駄であるし、応じること自体がすでに相手の土俵に立つことになり、自分のあり方を見失ってしまうと思うようになった。

そもそも、徳山が言葉で応答しない自由を発揮したように、すべての問いに言葉で応答する必要はない。

たとえば、返事がないことが返事、というように放っておくことも立派な応答だ。

このように、言葉で応じないことによってしか、示せないこともある。

これからは、言葉以外の応答を充実させていきたいと思う。

まとめ

徳山は、廓侍者の毒舌に対して、怒り狂うことをせずに、黙って済ませたり、背中をなでたりした。

廓侍者はいい気になってしまう。

しかし、これは猛虎が頭を引っ込め尾を巻いてうずくまっているように、穏やかではない。

このやり方は、手をくださずして相手を取っちめる、名人のやりかたなのである。

たとえば、返事がないことが返事、というように放っておくことも立派な応答だ。

よくある質問

問一. 応答しないことは無責任ではないですか?
すべてに反応することが必ずしも誠実とは限りません。
むしろ、不必要な応答は混乱や消耗を生むこともあります。
適切でない問いに応じないことは、関係と場を守る責任ある態度でもあります。

問二. 「相手の土俵に立たない」とは禅的にどういうことですか?
相手が設定した価値基準や勝負の枠組みに乗らないことを指します。
問いにそのまま答えることで、すでに相手の前提を受け入れてしまう場合があります。
禅では、その前提ごと外し、別の次元から応じることが重視されます。
それは拒絶ではなく、より自由な立場からの関わり方です。。

問三. 禅における「自由」とは何ですか?
外的な制約がない状態ではなく、状況に応じて執着なく振る舞えることを指します。
答える・答えない、関わる・離れるを固定せず選べる柔軟さです。
評価や期待に縛られず、自分の在り方を保てる状態とも言えます。
その自由は、内面の執着を離れることで初めて成り立ります。

問四. 禅としては黙って答えるのがいいのですか?
禅では相手の力量に応じて対応を変えることが重視されます。
相手が未熟であれば、沈黙ではなく言葉や指導を用いた可能性もあります。
重要なのは形式ではなく、その場に最も適したはたらきです。
徳山の本質は沈黙そのものではなく、自在に応じる点にあります。

問五. 禅では、無理解により誂いや侮辱にどう応じますか
応じない(沈黙・無反応)が最も多いやり方です。
他にも、受け流す(笑う・軽くいなす)ことや、そのままオウム返しすることもありますが、相手に学ぶ余地がある場合のみ、あえて言葉で応じることもあります。

より簡単に絵本にしました
🔗https://note.com/s2rz/n/n6112e568c2d0?sub_rt=share_sb

参考文献

坂田忠良(2023年2月5日).「従容録:その1: 1~25則」.禅と悟り.https://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/shouyou1.1.html(アクセス日:2026年03月23日)

加藤咄堂(昭和15年~17年)『修養大講座 第9巻』平凡社。

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「ぼち!ブログ」を運営している ぼちぷろ です。

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私は、幼いころから「なぜ人は幸せを望むのに、うまく生きられないのか」という問いを抱いてきました。
その答えを探すため、慶應義塾大学で社会学・心理学・哲学を学び、人間関係学の学士号を取得しました。

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