洗鉢の偈(せんぱつのげ):原文と読み下し・現代語訳
洗鉢の偈:観想し真言加持をすることで甘露に変える
洗鉢の偈とは:応量器を洗う際に唱えられる偈文
要点:洗鉢の偈とは、応量器を洗う際に唱えられる偈文。使用した水に真言を唱え加持をし、鬼神たちに与えることになる。ただ唱えるだけではなくて、「この水が甘露のように変わり、苦しむ鬼神たちの助けとなる」と心で強く思うことが大切なのだ。
今回紹介するのは、洗鉢の偈。洗鉢の偈とは、応量器を洗う際に唱えられる偈文だ。この偈文は、私の修行した道場では特定の名称で呼ばれることはなかったが、ネットを調べると折水の偈(せっすいのげ)と紹介されていた。しかし、昭和期に書かれた本を参考に「洗鉢の偈」とした(参考:沢木興道 著 (1941) 『座禅の仕方と心得 : 附・行鉢の仕方』 代々木書院)。
さて、擊鉢の偈(けいはつのげ)を唱えた後、食事をはじめる。その間に再請(さいしん)という、おかわりがある。欲しい人は、ご飯や汁物のおかわりをすることができる。合図としては、「さーいしーん」と平坦に言う。この合図をする係を喝食(かっしき)という。西洋音階でいうとファやラの音である。これは偈文っていうよりかけ声にあたるから特に収録しないが、もし機会があったら収録してみたいと考えている。住職が食べ終わると(大衆は住職に食べる速さを合わせなければならない)、「こーとー」という掛け声とともに、香湯(こうとう)が運ばれてくる。香湯とは、応量器(おうりょうき/食事の器)を洗う前の段階でご飯をふやかすためのお茶で、漬物を使って、すべての食器を前洗いをする(お茶は使いまわし)。ちなみに、新到(しんとう)(新参者)は、これを知らないので、漬物を全部食べてしまうということが毎年ある。前洗いをしたら、それを全部飲む。これは、外国人の参禅者では嫌がる人がいる。しかし、郷には郷に従えというしかない。
次に、刷(せつ)という器を拭う道具を使って、残った汚れを拭い去る。刷(せつ)とは、棒に白い布を白い糸で巻いたものだ。これで拭って舐めるのだが、定期的に変える必要がある。
次に、「じょーすーい」という掛け声とともに、浄水(じょうすい)と呼ばれる白湯がやってくる。これは、応量器(おうりょうき)を本洗いするためのお湯だ。浄水をいただいたら、刷(せつ)を使って綺麗に洗う。洗ったお湯は飲むわけではなくて、折水器(せっすいき)がやってくるのでそれに入れる。その際によまれる偈文が今回の洗鉢の偈である。折水器に集められたお湯は、草木に与えることになる。
語句解説
- 我此洗鉢水…私が今、この鉢を洗った水。
- 如天甘露味…天上の甘露(不老不死の霊薬)の味のごときである。
- 施与鬼神衆…鬼神たちに施し与える。ここでは餓鬼が中心だ。
- 悉令得飽満…ことごとく皆、満足させたいと願う。
- 唵摩休羅細娑婆訶…真言のため、音の響きが意味そのもの。梵語ではoṃ mahorase svāhā。意味をとるとしたら、唵は宇宙の根源のことであり、摩休羅細は至高の吉祥、娑婆訶は成就という意味。
日本人にとって、我此洗鉢水も唵摩休羅細娑婆訶も同じ外国から来た言葉というイメージなので、最後が真言だと知って驚いた。どうしても道場では、忙しくて意味や成り立ちまで考える暇はない。
それで、印隆法師のブログによると、「唵摩休囉悉莎訶」という真言を唱えると、少ない水でも真言による加持力によって、河の砂の数ほどいる餓鬼たちであっても、その恩恵を授かって充足するのだそうだ。餓鬼の喉は針の穴のように細いだけでなく、燃え盛る火のように熱い。そして、普通の水を飲むことができない。この加持された洗鉢水は甘露(霊薬)であるから、飲むことはもちろん、さらに熱を冷まし、苦しみから解脱させることすらできるということだ(参考:洗菜盤水與洗鉢水(印隆法師/老實修行,以戒為師))。
ただ唱えるだけではなくて、「この水が甘露のように変わり、苦しむ鬼神たちの助けとなる」と観想し、心で強く思うことが大切なのだ。
核心
- 真言を唱え観想することで洗鉢の水を甘露の如く変え鬼神たちに施すことができる。
- 私は水道水も十分甘露のようだと思う。
- 洗鉢の偈とは、応量器を洗う際に唱えられる偈文である。
私の体験談:水道水もありがたい甘露である
要点:蛇口をひねれば簡単に綺麗な水が手に入る。水道水も、十分甘露のようだ。
日本では、世界でもトップクラスの水が簡単に手に入る。しかし、世界ではそうではない国が多い。
いつきれいな水が手に入らなくなるかわからないと私は心配になって、調べてみた。すると、川の水を太陽の光に当てて殺菌すれば飲料水に使えるということだった。しかし、それはアフリカの話で、川の水が汚染してしまっている日本の都市部の川では不可能なのだそうだ。
そこで、私はもし日本で災害が起きてしまったら、山奥の比較的綺麗な水を毎日汲みにでかけて、太陽の光に当てなければいけないと思うと、大変な重労働であるし、目の前で蛇口をひねれば簡単に綺麗な水が手に入ることに畏敬の念をいだくのである。仏教では天上の霊薬のことを「甘露」だと言っていたそうだが、水道水も十分甘露のようだなぁと思う。
Q&A
- Q: なぜ洗った水を鬼神に施すのですか?
- A: なぜならば、出家者の食事作法は「一滴も粗末にしない」という精神に基づいているからです。普通の水を真言と観想で甘露にし、餓鬼など苦しむ衆生のと分かち合います。
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