展鉢の偈

展鉢の偈の核心とは?

展鉢の偈とは?

今回紹介するのは、展鉢の偈という、食事のために鉢を広げる前に唱える偈文。

禅宗では応量器という食器の一式を持っていて、このルーツは釈迦が持っていた頭鉢にある。

英文概要overview

This verse is called Tenpatsu no Ge, a short chant said before eating.

In Zen Buddhism, monks have a special set of bowls called ōryōki for their meals.

This custom comes from the bowl that the Buddha himself used long ago.

原文と読み方 original text & how to reading

仏生迦毘羅 成道摩揭陀

説法波羅奈 入滅拘絺羅

如来応量器 我今得敷展

願共一切衆 等三輪空寂

展鉢の偈 原文 original

ぶっしょうかびら じょうどうまかだ 

せっぽうはらな にゅうめつくちら 

にょらいおうりょうき がこんとくふてん 

がんぐいっさいしゅ とうさんりんくうじゃく

展鉢の偈 読み方 

busshōkabira jōdōmakada seppōharana nyūmetsukuchira nyoraiōryōki gakontokufuten ganguissai shu tōsanrinkūjaku

展鉢の偈 reading

展鉢の偈現代語訳

仏は、迦毘羅(カピラ)でお生まれになり、
摩掲陀(マガダ)で悟りを開かれ、
波羅奈(バラナシ)で法を説かれ、
拘絺羅(クシナガラ)で入滅された。

如来は、衆生の心の器に応じて、その分だけ法をあらわす存在である。
私はいま、その法を敷き広めることを得た。
どうか一切の衆とともに、
三つの輪(施す者・受ける者・施しそのもの)が、すべて平等で、執着や見返りを求めることのない空寂の境地に等しくありますように。

現代語訳

The Buddha was born in Kapila, reached enlightenment in Magadha, taught the Dharma in Varanasi, and passed away in Kushinagara.

The Tathāgata (Buddha) shows the truth in different ways, depending on the hearts and minds of people. Now, I am thankful that I can share this teaching.

May all people be equal in the three circles

— the giver, the receiver, and the gift — and may we live in peace, without attachment or desire for reward.

展鉢の偈 Modern English Translation

解説Detailed Explanation

応量器の値段、いくらだと思いますか?

本式の漆塗りの場合は、五万〜十万。
それで私は、なぜ貧乏を軸とする禅宗がなぜこのような高価な道具を持つのかと疑問に思った。

応量器だけでなく、網代笠(あじろがさ)から袈裟から揃えると何十万とかかる。
それでなんでかなぁとずっと思ってたんですが、それは、権威付けのためだ。

釈迦の時代は出家者はすべて乞食=托鉢僧だった。
だから粗末な鉢(はつ)があれば、貧富や身分関係なく出家することができた。
しかし、インド・中国・日本と仏教が伝わるうちに、出家者の生活も次第に国家としての宗教となり、僧院制度化・儀礼化していった。
特に日本では、国家や貴族が寺院を建立し、仏具や法衣に荘厳(しょうごん 飾る)を加えることで、「仏法の尊さを形にする」文化が発展した。
その結果、僧侶になるには寺院に入って修行する必要があり、寺院には一定の経済的基盤が必要で、出家=特権的な身分になっていった。

なかには国家の許可なく勝手に出家した人もいた。

勝手に僧になった人を私度僧(しどそう)という。
たとえば空海。
空海は自誓受戒(じせいじゅかい 師匠なしで戒を受け僧侶になる)し、しばらく四国の洞窟や森林で個人修行していた。
しかし、どうしても唐(中国)で勉強したくて、遣唐使となるには官度僧(かんどそう 政府の認めた僧侶)になる必要があった。
官度僧になるには、東大寺、観世音寺、下野薬師寺の三大戒壇で正式に師匠をたてて受戒する必要があった。

江戸以降になると、寺院制度の固定化により、出家にも費用がかかるという現象が生じた。
この時点で、すでに釈尊本来の平等精神は失われてい。
こうして、実際、近代以降の禅者は、「本来の出家とは何か」という問いを再び投げかけている。

そこで、私は、数万の応量器も素晴らしいのだけども、似たもので工夫することも可能だと思う。
入れ子形式に自分で組み合わせれば、収納に便利な、応量器風の食器になる。

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この記事を書いた人

運営者について

はじめまして。
「個人探究の庭」を運営している ぼちぴ です。

このブログは、個人探究の方法を紹介しています。

私は、幼いころから「なぜ人は幸せを望むのに、うまく生きられないのか」という問いを抱いてきました。
その答えを探すため、慶應義塾大学で社会学・心理学・哲学を学び、人間関係学の学士号を取得しました。

その後、禅の道場(伝統仏教宗派の認可道場)で3年間修行し、禅を指導できる資格を得ました。

その結果、どうしたら幸せになれるのか?という問いに対しては「自立して個人探究をし、自分で掴みとる」という答えを得ることができました。

いまでは、禅を中心に、「個人で探求する」ための実践法を中心に発信しています。

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