地蔵桂琛:飽参(ほうさん)の人はどのように暮らしているのか?
従容録 第十二則 地蔵種田
地蔵:どこから来たのか?
脩山主:南の方から来ました。
地蔵:南の方では、最近の仏法はどうなっているのか?
脩山主:問答や議論が盛んです。
地蔵:ここでは、田を耕し、米をついて食べているよ。
脩山主:三界(欲界・色界・無色界)についてはどうですか?
地蔵:どこに三界なんていうものがあるのか?
従容録 第十二則 地蔵種田
あらまし:地蔵桂琛(じぞう けいちん)と四人との出会い
要点:登場人物は地蔵桂琛(じぞう けいちん)、紹脩(脩山主)、法眼文益(ほうげん もんえき)、洪進(進山主)、休復(悟空)の四人。法眼文益は、のちに地蔵桂琛の弟子となっている。
今回の登場人物は地蔵桂琛(じぞう けいちん)。地蔵とは住んでいた寺院の名前で、羅漢院という寺院にも住んでいたので、羅漢禅師と呼ばれることもある。そんな地蔵院に、紹脩(脩山主)、法眼文益(ほうげん もんえき)、洪進(進山主)、休復(悟空)の四人がやってきた。この若い四人は諸方を行脚していて、雨宿りをしようと地蔵院によったのだ。
ここで地蔵親切の問答があり、法眼は、悟りを開いている。
時系列
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- 該当記事:従容録 第十二則 地蔵種田:ただ坐ればよいという参究なき禅と飽参の人(行脚の旅後の地蔵と脩山主の問答)915年〜928年頃
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地蔵と脩山主:田植え問答
要点:地蔵と脩山主は禅問答をした。しかし、脩山主は立派な回答ができなかった。
それで、法眼は地蔵との問答で悟りを得たので、地蔵院に残ることになった。他の三人は南方の他の道場を歴訪し、再び地蔵院に戻ってきた。ちょうどそのとき、地蔵は大衆(だいしゅ、修行僧たち)と一緒に田植えの作務をしていた。このときの問答が、本則となる。
地蔵が、紹脩(脩山主)に「どこから来たのか」と聞いた。これは、禅の力量をはかる禅問答の定型文だ。それで紹脩(脩山主)は「南方より来ました」と素人回答してしまった。
趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)は昔、「もし南方より来たる者には下載を与えよう、もし北方より来たる者には上載を与えよう」と言ったことがある。これは、順風に来たものには逆風を、逆風に来たものには順風を与えてやろうと言う意味で、これを万松行秀(ばんしょう ぎょうしゅう)が借用して、「素人回答をしている、なまくら脩山主に逆風を浴びせよう」と突っ込んでいる。
しかし、地蔵は「南方の仏法の実情はどのようなのか」と聞いた。これは、改めて、紹脩(脩山主)本人の禅を聞いている。紹脩(脩山主)は「南方ではいたるところ、問答が行われて禅風が振るっております」と、いかにも南方一帯の各道場を歴訪して来たぜ!という風に答えた。
地蔵桂琛:日常生活そのものが仏道である
要点:未熟な脩山主の問いに対して、地蔵は「田を植え、米をついて食べること」と答えた。この地蔵の回答は、円熟した禅の境地である。
それに対し地蔵は「田を植え、米をついて食べること」と答えた。これは、議論をし合うことではなく、働いたり家事をしたりするという、日常生活がそのまま仏道だよ、という意味だ。
これに対して、「それならどこも同じだ」と返すべきだったところを、紹脩(脩山主)は「三界についてはどうですか」と聞いた。三界とは、欲界と色界と無色界で、生死輪廻の凡夫衆生の世界のことで、この世界を解脱して不生不滅の涅槃を得るのが仏道の究極目的だ。紹脩(脩山主)の言いたいのは、解脱するために修行しているのに、日常生活を送るだけだというのではどうして解脱できるのか、納得がいかないよ、というわけだ。
それで、地蔵も地蔵で「私は田んぼ仕事が忙しいんだ」と相手にしなければよかったのに、地蔵は「どこに三界なんていうものがあるのか」と聞いた。これは、地蔵の、慈悲親切心が働いてしまって、なんとかして悟らせようと、まだおまえは三界を抜けてないのかい?私はもう抜けてしまって、そんなことも忘れていたよ、という余裕の問いかけだ。
この地蔵の応答のように、三界を超越しようがしまいが、わたしたちは、結局同じ世界で生きるのである。
真実の世界:「色即是空・空即是色」
要点:苦しい世界を越えようが超えまいが、食って働くという日常は変わらない。
かつては迷いの種であった千態万状の有相差別は、今や色即是空にして空即是色、色は空に異ならず、空は色に異ならず、雪月花、雨竹風松、柳は緑、花は紅、すべてこれ煩悩即菩提の場(じょう)、生死則涅槃の臺(うでな)である。
もっと簡単にいえば、以前は、いろいろな物事の違いが私を迷わせていた。
しかし今では、すべてのものは関係性のなかで成り立ち、同時にこの世界にあらわれているものだと分かる。
雪や月、花、雨、竹、風、松――どれもそのまま、迷いが悟りに変わる場所であり、生と死さえも安らぎの世界とつながっている。
だから、三界を超越しようがしまいが、わたしたちは働き、飯を食うのである。
ここで、日常生活を送るという、どの人もやっていることこそが仏道だということは、まったく修行をしない、勉強もしない人を肯定しているわけではない。
「飽参の人」の境地:徹底的に修行をやり尽くした先にある
要点:あたりまえの日常を送るという仏教の境地は、徹底的に修行や勉強をやり尽くした先にある。誠実に地道な努力を続けることが大切だ。
日常生活を送ることが仏道だという境地は、飽参の人(十分に参学・坐禅修行をし尽くした人)が、絶学無為(勉強しまくってついに果てるところまできて、今まで学んで来た法も、修して来た道も、すっかり忘れてしまった状態)に至ったところでやっと理解できることだ。
このように、仏法だの禅道だのという議論に目をくれず、愚(ぐ)のごとく、魯(ろ)のごとし、つまり、目立たず愚かに見えるほどひたむきに、誠実に地道な努力を続けることが本当に道と一枚なる真面目であるのだ。
紹脩は、このあと地蔵の法を嗣ぎ、湖西省の龍済山主となったから、脩山主と呼ばれている。
核心
- 修行をやり尽くした「飽参の人」のように、目立たず愚かに見えるほどひたむきに、誠実で地道な日常の努力を重ねることの中にこそ、本物の道がある。
- 脩山主は「議論を交わすことこそが仏道だ」と考えていたが、それは真の禅とはいえない。
- 地蔵が「田を植え、米をついて食べること」と答えたように、三界を超越しようがしまいが、わたしたちは日々働き、飯を食うのである。
私の体験談:地蔵の田植え的ブログ執筆を通して飽参の人となりたい。
要点:禅の実践のために拠点をSNSからブログに移動した。地蔵を手本にしてブログ運営をしていきたい。
私は禅についてネットの活動をはじめるにあたって、noteやXをはじめた。当初は、いろいろな議論をして、お互いに見識を高めあえればいいと考えていたが、議論して深め合うことはかなり難しく、個人による独習のほうが効果が高いと感じるようになった。
また、禅では、学習よりもただ日常生活を送ること、ただ坐ることを良しとされることが多いので、学習は有効なのかどうか疑うこともあった。しかし、今回の本則を再度取り組んで、まずはブログで禅の書の解説を、飽参の人となるまでやってみようと思えるようになった。
また、ブログは、Xやnoteほど反応を得ることができないし、整備も大変だから、地蔵の田植え的な媒体だ。道中の工夫をしながら家事や仕事をしつつ、地蔵の田植え如く禅の書解説ブログ執筆を続ければ、飽参の人となり、地蔵の日常生活が仏道だ、とわかる境地に到るのではないかととりあえずやってみる。
現代の生活に活かす禅のヒント:なんでもないことも一生懸命やるということ
要点:なんでもない仕事や家事を一生懸命やることが禅の修行につながる。
禅ではしばしば、「ただ坐れ」、「ただ日常を生きよ」と語られる。地蔵桂琛の提唱する仏道も、田を植え食事をするという日常生活をただ送るというものだった。しかし、日常生活を送るという、どの人やっていることこそが仏道だということは、まったく修行をしない、勉強もしない人を肯定しているわけではない。
日常生活を送ることが仏道だという境地は、飽参の人(十分に参学・坐禅修行をし尽くした人)が、絶学無為(勉強しまくってついに果てるところまできて、今まで学んで来た法も、修して来た道も、すっかり忘れてしまった状態)に至ったところでやっと理解できることだ。
日常生活における仕事や家事を、修行として一生懸命やるということは容易なことではないが、それこそが禅への一歩なのである。
Q&A
- Q: なぜ、禅では普通に生活すれば十分というのですか?
- A: なぜならば、十分に修行や勉強をやり尽くした「飽参(ほうさん)の人」にとっては、目の前の日常を誠実に生きることそのものが、仏道の究極の境地となるからです。
しかし、これは「修行も勉強もせず、ただ怠惰にありのまま生きればいい」という意味ではありません。散々迷い、学び、坐禅に参じ尽くしたその果てに、すべてのこだわりを手放して(絶学無為)日常に戻ってきたからこそ、その「普通の生活」が本物の仏道へと成熟するのです。
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