略布薩とは?
Today, I share a fusatsu ceremony (check the precepts).
In Buddhism, rules called precepts are very important.
There is an order based on these precepts.
英文概要overview
Today, I share a fusatsu ceremony (check the precepts). In Buddhism, rules called precepts are very important.
There is an order based on these precepts.
解説 Detailed Explanation
本日、布薩(戒を確認し懴悔する儀式)を行いましたので発信します。
仏教では、戒を基本に序列がなされています。
たとえば、仏や、それにつぐ菩薩、僧侶たちは戒を神々に授けることにより神々を支配していると考えます。
荒ぶる神々や悪霊も、この戒の力により抑えることができるのです。
仏や菩薩、僧侶は出家扱い、神々は在家扱いであり、神々は仏や菩薩・僧侶よりも階級的に下位になります。
実際に、寺院でも前後三拝(敬うためのお拝)を神々にはしません。
しかし、私独自の主張では、戒は宇宙に偏在しており、すべての神々、人々に既に備わっているから、寺院での授戒は
必要ない(しかし、確認のための布薩は必要)と考えています。
ですから、私の考えでは、神々は仏にしたがう必要はなく、ノウハウだけ教わったら、各自が戒にかなう生活をし、己の力を発揮すればいいのです。
つまり、禅では、従属や服従ではなく、潜在力の自覚と調和が重要ということです。
それにより神々は自由に活動しつつも、宇宙の秩序に沿った力を発揮できます。
これは、神々だけでなく私達にも当てはまります。
補足ですが、この話はインドの神々であり、日本の神々では事情が違います。
日本においては、神々を仏や菩薩の姿を変えた姿だとする本地垂迹(ほんぢすいじゃく)説が採用されました。
日本では、調和という思想が強く、神々は仏の教えの化身として理解され、従属という関係ではなく、共存・調和の関係に置かれたのです。
たとえば、神道の天照大神は大日如来が姿を変えたものだとされています。
このように、明治以前では、仏教と神道の堺はいい意味で曖昧だったのですが、明治期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく 仏教を辞めて神道一本化にすること)により仏教と神道は切り離されてしまいました。
今回の私の布薩では、なるべく偈文の内容の意味がわかるように工夫しました。
また、前後三拝(三回のお拝)は自由制にしました。
やってもやらなくても本人の自由ということです。
また、偈文をあとについて唱えたり、一緒に唱える部分があるんですが、正直難しいと思いますし、画面に表示されている日本語訳を読んで理解することが、今回の儀式の肝心なところなので、正直聞いてるだけでも十分です。
また、今回の布薩は、流れも日本語訳も、伝統的なものに従って発信しています。
しかし、変えているところもあります。
それは、御拝が自由制なところと、戒師に対する特別な御拝をなくしたところです。
また、これは略布薩であり、伝統的な布薩の中の簡単なバージョンです。