仏名(ぶつみょう):原文と読み下し・現代語訳
仏名:仏の名を唱え、その世界を現成させる「声明」の世界
仏名(佛名)とは?:仏の名前を読み上げること
要点:仏名とは、嘆仏法要の一部で、仏の名前を読み上げることである。禅宗に限らず、様々な宗派で尊重している仏の名前を読み上げる。
今回は、嘆仏法要の一部として、仏様のお名前をお唱えする。南無(なむ)とはサンスクリット語のナマスまたはナーモの音写だ。音写だから南無には日本語における「みなみ」や「ない」という意味はない。教本にある「佛」は「仏」の旧字体である。
読み上げ一覧
- 三世諸仏(さんぜしょぶつ)…過去の仏(釈迦など)、現在の仏、未来の仏(弥勒など)
- 普光仏(ふこうぶつ)…光明は智慧・慈悲の象徴。
- 普明仏(ふみょうぶつ)…迷いや煩悩を明らかに照らし出し、真理を悟らせる仏。
- 普浄仏(ふじょうぶつ)…煩悩や罪障を清め、心を浄化する仏。
- 宝蓮華善住娑羅樹王仏(ほうれんげぜんじゅうさらじゅおうぶつ)…清浄・幸福・安らぎをもたらす仏。蓮華は仏教で清浄と智慧の象徴。娑羅樹は釈迦の入滅時に咲いたとされる聖樹で、浄土や悟りの象徴。
- 法界蔵身盧舎那(なむほっかいぞうしんるしゃな)…盧舎那仏は大日如来や華厳経で説かれる仏。
- 法界蔵身阿弥陀(なむほっかいぞうしんあみだ)…阿弥陀仏は極楽浄土にいて、無量の光と寿を持つ仏。
それぞれの仏は、それぞれの宗派で重要視されている。たとえば、盧舎那仏は、華厳経 に基づくが、この盧舎那仏は大日如来と同体視される。「阿弥陀仏」や「法界蔵身阿弥陀」という表現は、浄土教の阿弥陀信仰からきている。
また、今回の収録は、現代一般に行われている声明(しょうみょう)だ。下記の参考資料の経本は明治時代につくられたものであり、現代はそれよりも短く簡略化されている。参考文献で掲載している教本の仏名では、実際は七つの仏ではなく、もっと数が多いので、興味がある人は下記リンクから参照されたい。
参考:禅山『歎仏会法式 重正』、其中堂、明治16年10月。
道場によっては、以下のように省略しているところもある。
南無三世諸佛 南無釈迦牟尼佛 南無過去荘厳劫一千佛
南無現在賢劫一千佛 南無未来星宿一千佛
南無寶蓮華善住娑羅樹王佛 南無法界蔵身阿弥陀佛
核心
- 仏の存在の有無を問うのではなく、自ら今この場に仏の世界を「現成」させることが肝心である。
- 心を込めて唱えること自体が、仏の表現である。
- 「仏名」とは、宗派を超えて仏の徳を称え、その名を読み上げることである。
私の体験談:仏名を唱えることで仏や世界と共鳴する
要点:その場に仏や仏の世界を現すことが肝心である。仏名を唱えることで仏や世界と共鳴することができる。
私が修行していた道場では、本山から声明(しょうみょう)の専門の先生がやってきて、講義をしてくれた。ある日、その先生がこんな話をしてくれた。先生は、「実際に仏がここにいるわけではないのに、そうやって仏を唱えるなんて、芝居や嘘ではないですか?」とか「霊がいるわけないのに、そのように葬式をするのは詐欺師ではないですか?」とたまに聞かれることがあるという。しかし、先生はそういう時、こう答えるのだという。「確かに、存在するかどうかというのははっきりわからないかもしれない。しかし、こうやって唱えることでそこに現すことが、わたしたちの役割ですので。」私はこれを聞いたときに、「なるほど!」と深く関心してしまった。私も実は、こんなの茶番じゃないか?と思っていたからである。
それから、気持ちを込めて仏名をお唱えすると、声の振動が周りのものや人に伝わり、世界やさまざまな仏と共鳴するような感覚を得るようになることができた。つまりは、仏があるのか?ないのか?と考えるのではなく、行動をすることでそこに仏や仏の世界を現すことが肝心なのである。
Q&A
- Q: なぜ、本当かどうかもわからないこと(仏や儀式)に取り組むのですか?
- A: なぜならば、 禅において何より肝心なのは、自ら「行動する」ことだからです。正直に言えば、禅の教えや伝承の中にも、真偽が疑わしいものは多々あります。しかし、まず疑い、調べて考えて、納得し、自分自身がどう行動していくのか?そのプロセスそのものを探求し続けることこそが、修行の核心だからです。私も最初は疑っていましたが、今では、心を込めて仏名をお唱えすると、世界が共鳴し、たくさんの仏様とのつながりを感じます。
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