歸依文(歎佛)

歸依文の核心とは?

歸依文とは?

歸依文とは、仏教徒が三宝(仏・法・僧)を拠り所とすることを誓う言葉だ。

これは、嘆佛法要の一部で全員で唱和する。

英文概要overview

 
Why is there a ceremony of taking refuge in Buddha, even in Zen?

Japanese Buddhism has many schools, and Zen is one of them.

They did not grow alone, but developed by influencing each other. Zen says, “If you do zazen (sitting meditation), you can awaken.”

But Zen also accepted many good methods from other schools.

This ceremony is one example of that.

原文と読み方 original text & how to reading

coming soon

歸依文 原文 original

coming soon

歸依文 読み方 

coming soon

歸依文 reading

歸依文現代語訳

私は仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依します。
今この身をもって発心し、天上や人間界での福徳を求めるためでもなく、声聞や縁覚の境地、あるいは菩薩の諸段階を求めるためでもなく、ただ大乗の最上の道を目指して菩提心を発します。
願わくは、法界に存在するあらゆる衆生とともに、阿耨多羅三藐三菩提を成就できますように。
また、私は十方尽きぬ虚空に遍満する一切の仏に帰依し、一切の尊い法に帰依し、一切の宝なる聖なる僧に帰依いたします。
さらに、如来――応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人の師である、尊き仏世尊に帰依いたします。

歸依文 現代語訳

I take refuge in the Buddha.
I take refuge in the Dharma (the teaching).
I take refuge in the Sangha (the community of monks).
Now I make a vow with my body and heart. I do not wish for happiness only in heaven or the human world.
I do not wish for the stage of the disciples (shravaka) or the stage of the self-enlightened ones (pratyekabuddha).
I do not wish only for the stages of Bodhisattvas.
I only wish to follow the Great Way of Mahayana and raise the mind of Bodhi.
I hope that all beings in the whole universe can reach Anuttara-samyak-sambodhi (perfect awakening) together.
I also take refuge in all Buddhas in the ten directions.
I take refuge in all noble Dharma.
I take refuge in all holy Sangha.
I take refuge in the Tathagata, the Buddha who is: Worthy of Offering, Perfectly Knowing, Full of Wisdom and Action, Well Gone, Knower of the World, Highest Person, Great Leader, and Teacher of gods and humans.

歸依文 Modern English Translation

解説Detailed Explanation

歸依文 語句の解説 word

金剛上師(こんごうじょうし)は密教で最高の師という意味。
今回は禅宗寺院のため金剛上師こんごうじょうしが三宝(さんぼう)に変更されている。
帰依(きえ)とはすがるということ。
私は仏や法や僧にすがります、という意味。
発心とは仏門に入ることで、声聞とは仏の声に導かれて悟りを得るもの、縁覚は十二因縁を独力で悟るもの、菩薩はみずからだけでなく他者のためにも悟りを求める者で、ここでは自分だけではなく、衆生(しゅじょう)みんなで悟りを開くことを目指す(菩提心)、という意味。
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)とは悟りのこと。
如来とは悟った人のことで、応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人とは、如来(悟った人)の特徴のことだ。
応供…供養されるにふさわしい人
正遍知…一切の智慧を
明行足…智慧も実践もともにそなえている
善逝…悟りに向かって正しく進んだ
世間解…世の仕組みや因果の道理を巧みに理解する
無上士…人々の中で最上に優れている
調御丈夫…巧みに人を導く
天人師…神々でさえも師と仰ぐ
仏世尊…あらゆる人から尊敬される
これは如来十号という御経としても唱えられる。
ちなみに、下記にあげている教本では、寶聖僧とあったが、道場の録音では賢聖僧とあったので、賢聖僧と訂正している。

私の意見 my opinion

現代日本では、密教、禅宗、その他の宗派としっかりと分けられているが、今回の歸依文をみると、禅宗が密教寺院での法要を取り入れたことがよく分かる。

このように、お互いに影響し合っているのというのがおもしろい。

これは檀家制度の成立する江戸時代以前は、宗派がきっちりと分けられていなかったからだと思われる。

私も禅宗だけではなく、他の宗派も勉強していきたい。

参考
禅山『歎仏会法式 重正』、其中堂、明治16年10月。

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運営者について

はじめまして。
「個人探究の庭」を運営している ぼちぴ です。

このブログは、個人探究の方法を紹介しています。

私は、幼いころから「なぜ人は幸せを望むのに、うまく生きられないのか」という問いを抱いてきました。
その答えを探すため、慶應義塾大学で社会学・心理学・哲学を学び、人間関係学の学士号を取得しました。

その後、禅の道場(伝統仏教宗派の認可道場)で3年間修行し、禅を指導できる資格を得ました。

その結果、どうしたら幸せになれるのか?という問いに対しては「自立して個人探究をし、自分で掴みとる」という答えを得ることができました。

いまでは、禅を中心に、「個人で探求する」ための実践法を中心に発信しています。

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