従容録とは―社会的価値に縛られない、本来の自分を生きるための教え

現代日本の文明は高度を極め、これからもとどまることを知らない。

しかし、バブルの時代より「私達は本当に幸せになったのか?」と問われ続けている。

古来より禅は、社会から一線を画し、社会的価値のない本来の人間のあり方を追求してきた。

その集大成といえるものが、今回紹介する従容録(しょうようろく)である。

それでは、従容録とはいったい、どのようなものなのだろうか。

目次

従容録とはなにか?

インドで釈迦が悟りを開き、綿々とその教えが伝えられてきた。

釈迦から数えて28代目の達磨がインドより中国へ渡った時、広めた教えは、言葉・文字以外の教え、不立文字(ふりゅうもんじ)だった。

ここに禅が成立した。

とはいうものの、修行者達は、中国内の諸国を巡り、力量のある指導者を求め、お互いに言葉によるやりとり(禅問答)をした。

そのやりとりを禅問答集としてまとめたのが、今回の従容録ということになる。

従容録は、正式名称を万松老人評唱天童覚和尚頌古従容庵録という。

時代は南宋末ら元への転換期。

チンギス・ハーンが南宋を滅ぼし建国したモンゴル帝国では、官僚の湛然居士(耶律 楚材、やりつそざい)が、儒・道・仏を統合的に理解して禅にも深い関心を寄せていた。

耶律楚材の依頼により、従容庵に住んでいた万松行秀(1166~1246)が『従容録』を編纂して、禅思想を体系化した。

もともと従容録は、宏智正覚禅師(1091~1157)が作成した「宏智禅師頌古百則」に、雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)が編纂した『碧巌録』をモデルに、万松行秀が示衆(導入)と著語(短評)、および評唱(講評)を加えたものだ。

伝統的に、どちらかというと、従容録よりも、碧巌録のほうが重きをおかれる。

それは、従容録のほうが、碧巌録よりもあとに作成されたからである。

しかし、古来より行われてきた禅問答に対して、碧巌録が雪竇の意向に基づき、従容録が宏智の意向に基づいていることから、どちらがよいと比べるべきものではなく、両方を珍重するべきだ。

従容録の構成

従容録の構成は、碧巌録の構成をモデルにし、示衆、本則、頌、著語、評唱で成り立っている。

以下にどんなものか詳しく見ていこう。

示衆(じじゅ)

示衆は万松行秀が自分の門下も弟子たち(大衆、だいしゅ)に対して、本則を提唱(解説)する前の導入(序文)として話した内容だ。

本則(ほんそく)


本則は、主題の話で、個人の語句や、悟りをひらく機縁となった話を取りあげる。
必ず頭に『拳』という字がついていて、『拳(こ)す』とは、古人の話を拳げて讃えることを意味する。
この讃え方は人によって違うわけだから、ここからここまでが古人の話で、ここからここまでが私の讃だ、という役割があるから、本当ならいちいち『拳』の字も読む必要がある。
しかし、私の記事では、「わかりやすさ」を第一に考え省略する。

今では、この本則のことを公案とか古則ともいう。
公案も古則も、両方同じような意味として用いているが、古則とは古聖先賢の悟道得法のお話で、公案とは政府の公式文書という意味だ。
寺院に坐禅にでかけると「公案を授けてもらってこれを工夫する」というわけだが、本来の意味合いとしては古則のほうが適切となる。
しかし、公案のほうが、なんとなく真剣な雰囲気がある。

頌(じゅ)


頌は、宏智正覚による、本則への、ときには賞賛、ときには批判する意味を込めた詩文だ。
もともと中国では漢詩の文化があり、禅もその影響を受けて、古則を頌で評唱することが流行した。
古則を頌で評唱したものを特に頌古(じゅこ)や偈頌(げじゅ)、詩偈(しげ)という。
この他にも頌古のような韻をふんだ詩文ではなく、散文の形式のものを拈古(ねんこ)という。
唐代に活躍した李太白や杜甫と並ぶくらいの見事な漢詩だ。

著語(じゃくご)


著語は、本則への短評で、万松行秀による本則へのつっこみだ。
おいおい、中国語でやってくれよ(言ってる意味がわからないぞ!)というような、カジュアルなつっこみもある。
達磨の時代にはこうした自由奔放なつっこみはなかったが、宋代になると禅が栄えて政治家や学者、軍人、詩人という知識階級の間に流行したため、こうした人達に対応するために、このようなつっこみが発達したと思われる。

評唱(ひょうしょう)


評唱は、本則全体への解説だ。
伝統で言えば、禅では講評とか解説だとか言う言葉は使わないことになっている。
なぜならば、本来禅は自分で取り組むものであって、解説してあげるものではないといわれているからだ。
それで、『評唱』とか『拈唱』とか『拈堤』という言葉を使う。
しかし、そんなわけにもいかず、従容録の評唱ではかなり親切に解説されている。
とにかく、現代の学校や塾であるような「親切に教えてもらって当然だ」という態度ではいけないということだ。

私の体験談

私がこの従容録にふれたきっかけは、禅の道場だった。

全文漢文で、正直なにを言っているのかちんぷんかんぷんで、眠気だけが誘われる。

しかし、その道場の堂長は、熱心に提唱してくださったため、段々と内容をつかむことができるようになってきた。

そして、道場に安居(あんご、道場で修行すること)中に、もっと簡単に要点だけを紹介できないだろうかと思うようになった。

もちろん、従容録の解説本は既に出版されているし、ネット上でも調べれば出てくる。

だが、百則すべて解説するとなると、本やサイトでも限られてくる。

やがて、私は首座(修行道場のリーダー)となり法戦式を行った。

この法戦式は、今回の従容録の問答に沿って行われる、形式化された儀式だ。

しかし、本来は、禅の問答は、個人が参究し、自分の人生に反映していくものだ。

だから私は、「どこでもが道場」というコンセプトに、ネット上で、わかりやすさをモットーに公開していくことにした。

すべてをきっちりと紹介すると難解度が上がってしまうので、本則を中心に、ときには示衆、頌、著語、評唱の内容、私の体験談も取り入れて、カジュアルにやっていきたいと思う。

もっと本格的に学びたい人は、以下の参考文献より、さらに参究されたい。

まとめ

古来より禅は、社会から一線を画し、社会的価値のない本来の人間のあり方を追求してきた。

禅では、言葉によらない体験を重視しつつ、言葉を利用して核心に迫ろうとしてきた。

その集大成といえるものが、従容録だ。

このブログでは、従容録の本則の核心部分をわかりやすく伝えられるように、さらに私の体験談も取り入れて紹介していく。

よくある質問

Q1. どんな人向けに書かれていますか?
A.原典は、基本出家者向けに書かれていますが、在家の方でも取り入れられる智慧はたくさんあります。
わたしもできるだけ、わかりやすく書いています。

Q2. 難しそうで読めるか不安です。
A. 原典は漢文だけなので、漢文が読めないと難しいです。
また、翻訳されたものも、なかなか難しいと思います。
しかし、私は自分の体験談も入れて、できるだけわかりやすく書く努力をしています。

Q3. なにか意味はあるのですか?
A. 禅では日常生活を修行と見ますから、家事や仕事を含む生活全般に役立ちます。
しかし、禅の目指すところは社会的な価値から離れて本当の自分と向き合うものなので、社会生活に役立てるという意味では役に立たないでしょう。
つまり、どう役に立てるかはあなた次第です。

Q4. どこから読めばいいですか?
A. 全体を通して読んでもいいですし、ほとんどの則が独立してますから、気になる則から読んでも大丈夫です。

Q5. 禅は不立文字(ふりゅうもんじ)だからこういう文字の書物はいらないんじゃないですか?
A.確かに禅は、経典以外の文字にならないところを追求します。
しかし、それは経典がいらないということと直結しません。
なぜなら、黙照禅(もくしょうぜん)、只管打坐(しかんたざ)を打ち出した道元禅師も、古則の研究は深く行っているからです。
ですから、私は、もし不立文字を追求するなら、書物の研究もしつつ、体験(不立文字)もしつつ、というのがよいと思っています。

これから一則ずつ投稿していきますが、既にnoteのほうで投稿をしていますのでよろしければ↓↓

参考文献

坂田忠良(2023年2月5日).「従容録について」.禅と悟り.https://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/shouyou1.1.html(アクセス日:2025年10月30日)

花園大学国際禅学研究所(2002年11月1日).「禅籍データベース 」.従容録.http://iriz.hanazono.ac.jp/data/zenseki_255.html
(アクセス日:2025年10月30日)

花園大学国際禅学研究所(2002年11月1日).「禅籍データベース 」.碧巌録.http://iriz.hanazono.ac.jp/data/zenseki_187.html
(アクセス日:2025年10月30日)

加藤咄堂(昭和15年~17年)『修養大講座 第9巻』平凡社。

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「ぼち!ブログ」を運営している ぼちぷろ です。

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私は、幼いころから「なぜ人は幸せを望むのに、うまく生きられないのか」という問いを抱いてきました。
その答えを探すため、慶應義塾大学で社会学・心理学・哲学を学び、人間関係学の学士号を取得しました。

その後、禅の道場(伝統仏教宗派の認可道場)で3年間修行し、禅を指導できる資格を得ました。
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