従容録第五則青原米価:米の相場が常に変動しているように、仏法の根本も絶えず変動している

升に入ったお米

仏教に触れるとき、多くの人はまず知識を求め、経典や解説書を読み進めていく。

けれども、人間関係の小さな引っかかりや、仕事や暮らしの中でふと生じる不安は、本を読んだり理論を理解しただけでは、なかなか軽くならない。

それは、経典や解説書だけでは現実生活での実践が伴っていないからである。

だから、仏教は、生活そのものと切り離されては語れないのである。

今回は、従容録第五則青原米価に取り組み、仏法の根本の意味とはなにか?について探る。

目次

Summary:Just as the price of rice constantly fluctuates, so too does the essence of the Buddha’s teaching continually change.

Buddhism is a high teaching, but it is not separate from real life.

Just like the price of rice changes all the time depending on how much is harvested and how much people want,
the “essence” of Buddhism is not fixed.
It always changes with situations, causes and conditions, and relationships.

Every moment shows the essence of Buddhism.
The reality you see right now is Buddhism itself.
The power to see it as it is—that is true Buddhism.

So, it is not enough to just study sutras or learn theory.
You must practice and study through your daily life.

目の前の一瞬一瞬が仏法の根本を示す

ある僧:仏法の根本の意味とは、どのようなものですか?
青原:盧陵(ろりょう)の米の相場のようだ。

従容録第五則青原米価

本則の登場人物は、ある僧と青原行思(せいげんぎょうし)。

原文では、青源となっている。

青原行思が住んでいた山は清源山という名前なので、昔は 青源行思と書いていたのだろう。

清源山という名前の山は他にもあるが、今回の清源山は江西省の中部にあって、付近の慮陵(ろりょう)は、米の産地として有名だったようだ。

青原は、幼い頃出家して、常にひとり道を楽しむという風で、説法や議論を好まず、あまり語らなかったので、どんな人かは詳しく記録されていない。

青原行思はこの清源山の静居寺(じょうごじ)に住み、達磨から数えて七番目の法孫だった。

さて、本題に入ろう。

ある僧が青原に「仏法の大意を簡単明瞭に指示して下さい」と問うてきた。

これに対して青原は「あなたは慮陵縣より来たというが、慮陵の米の相場はどのくらいか」と質問で返した。

万松は、ある僧は新到(しんとう)ではないかと指摘しているが、ある僧が初心者だったら「まず坐禅をしなさい」とか「勉強しろ」とか言うと思うので、このように考えさせる返答をしたということは、ある僧がある程度修行を積んだ人だといえるという。

はたして、これはどういう意味なのだろうか。

まず、仏法は高尚な教えではあるが、現実生活を離れたものではない。

米の相場がそのときの収穫量や需要に応じて常に変動しているように、仏法の「根本」も固定的な概念ではなく、状況・縁起・関係性の中で絶えず変動している。

このように、目の前の一瞬一瞬が仏法の根本を根本を示し、あなたがいま目の前に見ている現実であり、それをそのまま観る力こそ仏法なのである。

米の相場はその象徴にすぎない。

だから、経典の研究だけ、理論の勉強だけではだめで、現実の生活をしていくことを通して参究して必要があるのだ。

私の体験談

仏教は哲学である、という考え方が明治期に流行した。

今でも、それを受けて、仏教は哲学であると言っている人が多い。

私も最初は、仏教は哲学であるという捉え方でスタートした。

しかし、本を読んで体系化された理論を学んでいくだけなら哲学といえるだろうが、仏教の本質は自分の考え方や生活を変えることにある。

そこで、私は、実際に受戒し、戒にそって生活することで、実生活での安楽を得た。

だから、いくら仏教用語をわかってそれを詳しく説明できるようになったとしても、生活や考え方が変わらないことには、仏教を味わったとはいえない。

まとめ

仏法は確かに高尚な教えだが、決して現実生活と切り離された世界の話ではない。

むしろ、目の前に立ち現れている一瞬一瞬こそが仏法の根本を明らかにしており、その現実をありのままに観る力こそが仏法そのものといえる。

そのため、経典の研究だけに偏ったり、理論の学習だけで満足したりしていては不十分である。

日々の生活を実際に営む中で参究し、体験を通して確かめていくことが欠かせない。

仏教を、単に本を読んで体系化された理論として理解するだけなら、哲学として扱ってもよいだろう。

だが、仏教の本質は、自分の考え方や生活そのものが変化していくところにある。

なので、仏教用語を覚え、詳しく説明できるようになったとしても、生活や考え方が変わらないのであれば、仏教を本当に味わったとは言えないのである。

よくある質問

Q1.明治期に仏教として捉えるようになった背景を教えてください。
A1.明治期、日本は近代国家として西洋に追いつく必要があり、宗教が迷信と見なされるのを避けるため、仏教を「理性的で論理的な学問=哲学」として位置づけ直しました。
これにより仏教は「学問」として再評価されましたが、実践や生活から離れ「体系化・理論化」に偏った側面も生まれました。

Q2.日常生活のどんな場面に「仏法の根本」がみえますか
A2.反応している自分がその場でみえている瞬間です。
たとえば、イラッとした瞬間は、自分と世界の関係性が生きた縁起として露わになっている瞬間です。

Q3.変動する米の相場が、どうして仏法に関係するのですか?
真理は固定された概念ではなく、はたらきそのものにあるからです。
たとえば、米の相場は常に上がったり下がったりする。
固定しようとしても固定できないですよね。
それはそのまま、縁起の世界=変動し続ける現実 の象徴です。
青原は「根本とはこのはたらきそのものだ」と示したかったのです。

Q4. 今この瞬間をみるとは、具体的に何をみることですか?
思考以前の起きている事実をそのまま感じ取ることです。
起きている現実を評価・解釈せず、ただ起きたままに観る。
これが「今を見る」ということです。

Q5. 仏法の根本が日常にあるなら、特別な修行は必要ないのでしょうか?
必要なのは特別な修行ではなく、見る姿勢です。
日常の生活の中で、思考に巻き込まれすぎないようにしていくこと。
つまり、修行は特別な場所で行われる特別なものではなくて、日常生活でも行うことができるのです。

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参考文献

坂田忠良(2023年2月5日).「従容録:その1: 1~25則」.禅と悟り.https://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/shouyou1.1.html(アクセス日:2025年12月8日)

加藤咄堂(昭和15年~17年)『修養大講座 第9巻』平凡社。

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