この度はアンケートのご回答ありがとうございました。
少しずつではありますが、コンセプトや方向性がみえてきたところです。
さて、今回は「評価と比較」に着目してアンケートを作成しました。
禅では、社会的な常識から一歩引いて考えていきます。
そこで、よくある評価と比較について考えました。
今回は「はい」のほうが多い結果となりました。
やっぱり「比較」で見てしまうことが多いですね。
私は今塾で働いていて、毎月の模試をして「偏差値」というもので子どもの成績がどれくらいかをはかります。
私は子供の頃、偏差値至上主義に落ちてしまい失敗したので、「偏差値」は重視せず、出来なかった分野の改善方法を紹介しています。
他の講師の指導を聞くと、偏差値を上げるためには〜、偏差値によると〜と、偏差値で子どもの価値を比較してしまっていますね。
そういう業界なので仕方のない面もありますが…
本来、自然界には基準というのはなく、正直生き残れさえすればいいので、そういう意味では生きているだけで十分なんですよね。
とはいえ、わたしたちは社会で生きているので「生きているだけで十分」なわけないだろ〜と思うでしょうね。
それではこう考えるのはどうでしょう。
「一部、基準にかなった生活をする」
私は、仕事をしている時は「使える人間である」ことにこだわって仕事をしています。
でも時間がきたら「ほな、さいなら(^_^)/~」です。
私は「使える人間である」ことにこだわりつつ「定時退社」にもこだわっています😊
今回は「いいえ」の人のほうが圧倒的に多い結果となりました。
アンケートだけでなくて、どうしていいえといえるのか、意見も聞いてみたくなりましたね。
私は以前は人にどう思われるか気になっていましたが、今では仕事をぬかりなくこなすことであまり気にならなくなりました。
人からどう見られているか気になる人は、他人に自分の評価を任せ過ぎなのかもしれません。
しかし、日本の文化的に周りに合わせないやつ、周りの基準に合わないやつを排除するところがあるので、その人だけの責任ではありません。
今回は「はい」のほうが圧倒的に多い結果となりました。
私も「はい」の人でした。
これは、実は、私の自殺念慮の突破口なんです。
過去の私は、社会や他人に自分の評価を任せてたんです。
だから社会では私は社会ではだめ=自殺するべきという考えでした。
今では、自分の価値は自分で決めているので自殺念慮はないです。
しかし、食わねばならないので、仕事をしている時間は役に立つと認められなければなりませんが。
もはやほとんど人と関わりがありませんので、もう食っていければいいやって感じですね👼
今回は半分半分でした。
私も過去ではSNSですごく豪華な暮らしを見ると、わぁすごいなぁと本気にしたものです。
ブランドバッグなどの豪華な暮らしを売りにするGenkingというインフルエンサーの方が、実はその活動のために借金まみれだったという話を知ってから、羨ましいと思わなくなりました。
なんかあるんだろうな〜って覚めた目で見てしまいますね。
最近の話で言えば、勤め先でアルファードに乗っていて自慢している人がいて、私は車なんてわからないものですから、はじめてアルファードなんて言葉も知って、すごいなぁと思っていました。
そうしたら、街でアルファードをやたらみかけるので、ずいぶん景気が良いなぁと思って調べてみたら、みなさん残クレという特別なローンを組んでいるのだそうで、これも目からウロコでした。
それと、私のアパートの周りは立派な一軒家ばっかりなのですが、夏暑いのに窓が空いてるんですよね。
ローンに追われて、クーラーつけられないのかなぁなんて余計なことを思ってしまいます。
だから、豪華な生活を見ても羨ましいと思わなくなりました。
今回は「はい」のほうがやや多い回答となりました。
私は平成生まれなのですが、私の親の世代が、この考えが強いと感じますね。
今は、薄れてきている気がします。
しかし、正社員+マイホーム+車+子供二人、みたいな幻想にいまだに囚われている人が多いという感じです。
政策により非正規労働者が増え、お年寄り偏重になっているので、今これをクリアするのはかなり大変ですし、ローン地獄につながってしまいます。
私は早い所、比較ゲーム、マウントゲームから降りられてよかった、と思っています。
今回は「いいえ」のほうがやや多い結果となりました。
私は実は「はい」の人でした。
私は偏差値至上主義の高校にいたので、勉強ができて当たり前の世界だったんですよね。
だから、もっと上もっと上を長年目指していて、いつも疲れていました。
やっぱり学歴の世界は、親の学歴や財力がものをいうことはありますね。
私も相当頑張ったのですが、今の状態で精一杯です。
ある時、東大生ばっかりの塾で働いていた時があって、ある東大生が、自分はハーバード大に落ちたから東大の大学院に行かなくちゃいけないってすごく落ち込んでいて、私は「私だったら東大の大学院に行けたらすごく嬉しいのになぁ」とは思ったのですが、この人は両親とも東大で、お兄ちゃんが別の海外のすごい大学なんですよね、だから「この人の中では東大が最低ラインなんだな」と思って、話だけ聞いて特に無駄な励ましはしませんでした。
いくら比べても結局どんぐりの背比べであり、誰かのダメは、誰かのすごいかもしれないっていう話でした。
今回は、3票という票数でしたが全員「はい」でした。
いいことですね!
日本では個性はマイナスとして捉えられますが十年程前に個性尊重が流行りましたね。
私は個性とは、その人が生まれつき持ち、周りに合わせようとしても最後まで変えられないものだと思っています。
私は見た目は没個性的です。
それはなぜかというと、考え方や主張が個性的だからこそ、普通に擬態せざるをえないのです。
それでも良い意味で個性、悪い意味で変さが滲み出るようで、私は時折、あなたはなんなんですか?というすごく失礼な質問をされることがあります。
今まで診断として点数化していたのですが、これも結局比較による評価なので廃止することにしました。
みなさんそれぞれ、今の状態が満点です💮!
これからも満点を磨いていきましょう。