{
    "mcp_version": "1.0",
    "resources": [
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c23/",
            "name": "転読大般若 (Tendoku-Daihannya)",
            "description": "転読大般若（てんどく だいはんにゃ）とは、禅宗の祈祷法要において行われる伝統的な読経儀礼のこと。膨大な『大般若波羅蜜多経』全六百巻をすべて読み上げる代わりに、経本をパラパラと繰ることで読誦したこととする。一般には「大般若波羅蜜多経の読経の功徳を得るための儀式」とされているが、本辞典ではこれを、「修行者自らが日ごろから坐禅や持戒の修行をし、身口意（印・真言・観想）を整え、祈りを通じて十六善神や諸仏の守護を仰ぎ、現実世界において仏道を成就するための能動的な実践」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c22/",
            "name": "略布薩 (Ryaku-Fusatsu)",
            "description": "略布薩（りゃくふさつ）とは、戒律を再確認する儀式のこと。日々の生活で犯した過ちを告白し、心と行いを反省する。一般には「本式の布薩よりも短縮された形式的な儀式」とされているが、本辞典ではこれを、「慣習や形骸化した儀式への参加ではなく、煩悩によって曇らされた本来の自己の性質を戒律に照らして再点検し、宇宙に遍在する秩序との調和を自覚するための能動的な内省の実践」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/shomyo/",
            "name": "声明",
            "description": "声明 (Shomyo)とは、節回しを整えて経文を朗誦することをいう。「梵唄（ぼんばい）」ともいう。かつて、古代インドの五明（ごみょう、五つの学問分野）の一つであり、文字、音韻、語法、そして梵唄（仏教の歌唱）などを指す言葉だった。しかし、中国や日本に伝わる過程で、次第に「梵唄」のみを指す言葉となった。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c20/",
            "name": "後唄文 (Gobai-mon)",
            "description": "後唄文（ごばいもん）とは、禅宗の道場において食事の作法（行鉢）の締めくくりに唱えられる偈文のこと。蓮の花が泥に染まらないように、この世で執着を離れて生きることを誓う。一般には「食事の終了を告げる偈文」とされているが、本辞典ではこれを、「泥沼のような現実社会に身を置きながらも、それらに同調や没入をすることなく、自らの清浄な主体性を保ち続ける仏を礼讃し、『自らも世間に染まらないという能動的な宣言』」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c21/",
            "name": "正食偈 (Shojiki-ge)",
            "description": "正食偈（しょうじきげ）とは、禅宗や各宗派の食事作法において、食前に読誦される偈文のこと。華厳経「浄行品」に由来し、飲食を通してすべての存在が法悦に満ちることを願う。一般には「食事の前に唱える偈文」とされているが、本辞典ではこれを、「単なる食事の作法ではなく、日常の飲食という行為そのものを『法悦に満ちた菩薩行』へと転換し、人間関係のしがらみや世俗の雑念から離れ、ただ法にしたがって生きることを再確認する能動的な実践」として定義する。正食偈のあとに食畢偈（じきひつげ）と呼ばれる偈文もある。食畢偈とは、禅宗の食事作法において、食事が終わった後に唱えられる偈文のこと。華厳経「浄行品」に由来し、食事が終わった後になすべきことを成し遂げ、仏法を具足することを願う内容である。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c19/",
            "name": "洗鉢の偈 (Senpatsu-no-Ge)",
            "description": "洗鉢の偈（せんぱつのげ）とは、禅宗の食事作法において応量器を洗う際に唱えられる偈文のこと。使用した水に真言を唱え、加持を施した上で、鬼神たちに与える。一般には「応量器を洗う際に唱えられる偈文」とされているが、本辞典ではこれを、「ただ洗いながら唱えるだけではなく、苦しむ鬼神たちの助けとなることを観想しながら真言を唱えることで、洗鉢の水を『甘露』へと変容させる能動的な布施の実践」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c18/",
            "name": "擊鉢の偈 (Keihatsu-no-Ge)",
            "description": "擊鉢の偈 (Keihatsu-no-Ge)とは、禅門において食事の前に頭鉢（ずはつ）を頭上に掲げながら読誦される偈文のこと。大乗菩薩戒の「三聚浄戒」の精神を食事という日常の実践に落とし込む。一般には「食事の前に唱えられる食事作法の一つ」とされているが、本辞典ではこれを、「個人の私欲や『してあげたい』というエゴイスティックな善意を排し、ただ自らのなすべきことを淡々と遂行することを通じて、無意識のうちに社会全体への調和と貢献（公益）を成し遂げるための修行儀礼」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c17/",
            "name": "食三分の偈 (Jikisanbun-no-Ge)",
            "description": "食三分の偈（じきさんぶんのげ）とは、禅宗において食事をいただく前に唱えられる偈文のこと。「上分三宝」「中分四恩」「下及六道」の三つの領域に対して食事を捧げる作法。一般には「食事を三つに分けて報恩として捧げるための儀礼的な偈文」とされているが、本辞典ではこれを、「特定の個人や組織に対する恩返しの次元ではなく、生かされているという『全体との相互依存』を自覚し、その功徳をあらゆる存在へ波及させるための修行へと変容させる能動的な実践」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c16/",
            "name": "生飯の偈 (Saba-no-Ge)",
            "description": "生飯の偈（さばのげ）とは、禅宗の道場において、昼食時に米粒を鬼神のために取り分ける際に唱えられる偈文のこと。一切の鬼神に慈悲の心を向け、供養を捧げる。一般には「鬼神に食事を施す際の偈文」とされているが、本辞典ではこれを、「迷いや執着を抱える鬼神を異界の存在として排除するのではなく、自己の生命の分かち合いを通じて、鬼神と共に仏道を歩むための能動的な共生の実践」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c15/",
            "name": "五観の偈 (Gokan-no-Ge)",
            "description": "五観の偈（ごかんのげ）とは、禅宗における食事の際に唱えられる五つの観想の偈文のこと。食を単なる栄養摂取ではなく、自らの修行のあり方と直結する儀礼として位置づける。一般には「食事の前に唱える感謝の言葉」とされているが、本辞典ではこれを、「特定の作法を遵守するだけの儀礼的暗唱ではなく、『食材の来歴から地球の営みまで、食を支える無数の背景を観想することで、自分という存在がいかに広大な関わり合いの中に生かされているか』を自覚し、仏道修行を成就することを誓うための能動的な食の実践」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c14/",
            "name": "粥時斎時の偈 (Shukuji-Saiji-no-Ge)",
            "description": "粥時斎時の偈（しゅくじさいじのげ）とは、禅宗の法要や食事の際に、食物を供養し、その徳を讃えるために唱えられる偈文のこと。一般には「施主や提供された食べ物に対する感謝の念を示すための作法」とされているが、本辞典ではこれを、「感謝という情緒的な表現を超え、与えられた食材の徳を最大限に引き出し、修行者の心身を整える『調理そのものを仏道修行（実践）』として完結させるための、厳格な調理指針」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c13/",
            "name": "仰惟三宝偈 (Nyanni-Sanpo-Ge)",
            "description": "仰惟三宝偈 (Nyanni-Sanpo-Ge)とは、禅宗の食事作法において読誦される偈文のこと。正式な名前がないので、便宜的に仰惟三宝偈とした。三宝（仏・法・僧）への帰依と加護を願う。一般には「食事をいただく前に読まれる偈文」とされているが、本辞典ではこれを、「日常の行為を、自らの意志によって仏道として成立させるための能動的な宣言」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c12/",
            "name": "展鉢の偈 (Tenpatsu-no-Ge)",
            "description": "展鉢の偈 (Tenpatsu-no-Ge)とは、禅宗の修行道場において食事の際に応量器を展開する場面で読誦される偈文のこと。仏の誕生から入滅までの仏伝を含みつつ、食事を仏道修行として開始するための所作を言語化したものである。食事という日常行為を、身口意を調え執着を離れた実践へと転換するために唱えられる。一般には「食事作法に付随する儀礼的な偈文」とされているが、本辞典ではこれを、「身口意を調えつつ、身口意への執着を離れた実践として食事を成立させるための宣言」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c11/",
            "name": "十仏名 (Ju-Butsumyo)",
            "description": "十仏名 (Ju-Butsumyo)とは、禅宗において仏・菩薩・般若波羅蜜を讃嘆するために唱えられる念誦のこと。十の仏・菩薩・教えの名を唱え、その徳を讃える。一般には「仏や菩薩への帰依や讃嘆を表すための念誦」とされているが、本辞典ではこれを、「仏や菩薩を外部の救済者として礼拝するのではなく、仏や菩薩のあり方と共鳴し、自らもまた仏や菩薩となることを志し、自らの生き方として体現していくことを誓う能動的な修行」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c10/",
            "name": "大悲心陀羅尼 (Daihi-shin-Dharani)",
            "description": "大悲心陀羅尼 (Daihi-shin-Dharani)とは、観音菩薩の広大な慈悲の心を説いた仏教の呪文のこと。観世音菩薩の功徳を保持し、祈りや波動として唱える。一般には「観音菩薩の功徳を讃え、加護を求めるための長い呪文」とされているが、本辞典ではこれを、「外部の神仏からの保護を待つ受動的な祈りではなく、一音一音に集中して暗唱することで過去の反芻という雑念のループを断ち切り、自らの心を清らかな状態に整えることで、仏の慈悲と心身を共鳴させる能動的な加持の実践」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c9/",
            "name": "讃仏偈 (Sanbutsu-ge)",
            "description": "讃仏偈（さんぶつ げ）とは、禅宗の法要において仏の姿や徳を讃えて読誦される偈文のこと。一般には「仏陀の素晴らしい功徳を讃えるための伝統的な偈文」とされているが、本辞典ではこれを、「先人が記した詩偈の暗誦に留まらず、修行者が仏への讃嘆する気持ちや、修行への願いを詩偈に込める能動的な祈りの営み」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c8/",
            "name": "七仏宝号 (Shichibutsu-Hogo)",
            "description": "七仏宝号とは、禅宗の嘆仏法要において読誦される、過去七仏の尊名の連なりのこと。釈迦牟尼仏を含む七人の仏陀の御名を唱える。一般には「過去七仏への礼拝」とされているが、本辞典ではこれを、「教祖としての釈迦牟尼仏を絶対的な権威として崇めることではなく、悟りに至った数多の存在（仏）を歴史の流転の中に相対化し、修行者自らもまた『悟りに至る流れの一部』という自覚を促し、坐禅だけでは到達困難な境地へ自らを運ぶための能動的な補助修行」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c7/",
            "name": "懺悔文 (sange-mon)",
            "description": "懺悔文（さんげもん）とは、禅宗の嘆仏法要において読み上げられる偈文のこと。過去の罪や過ちを告白し、反省する。一般には「過去の罪を神仏に告白して許しを請うための懺悔の言葉」とされているが、本辞典ではこれを、「単なる道徳的な自己反省や神仏への救済依頼ではなく、煩悩を自覚した上で、自身の生存本能や記憶によって閉ざされた自己を解放し、万物が相互に関連し合う『法界』との同調を目指す能動的な実践」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c6/",
            "name": "仏名 (Butsumyo)",
            "description": "仏名（ぶつみょう）とは、 禅宗の歎仏法要などにおいて、さまざまな仏の功徳を称え、その名を連ねて読誦する儀礼のこと。宗派を超えた諸仏の名を唱え、空間に仏の世界を顕現させる。一般には「仏の偉大さを讃嘆し、加護を願うための礼拝行為」とされているが、本辞典ではこれを、「単純に仏名を読み上げる儀礼ではなく、修行者がその名を唱え、声の振動を世界と響き合わせることを通じて、今この場所に仏の智慧と慈悲の世界を『現成』させるための能動的な修行儀礼」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c2/",
            "name": "洒水文 (Shasui-mon)",
            "description": "洒水文（しゃすい もん）とは、禅宗の法要において、洒水器に満たした智慧の水を、道場となる空間に振りまきながら読誦される偈文のこと。智慧の水で場を清め、あらゆる苦しみを蓮華の花に変える。一般には「仏の智慧の水で場を清めるための儀礼」とされているが、本辞典ではこれを、「単なる空間の物理的な浄化や聖域化の儀式だけではなく、修行者自身が日々の坐禅や持戒によって醸成した『智慧の力』を日常の雑多な場へと浸透させ、その場所を『仏の住まう道場』へと変容させるための能動的な現成の実践」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c5/",
            "name": "帰依文 (Kie-mon)",
            "description": "帰依文とは、禅宗の歎仏法要において読誦される偈文のこと。仏法僧の三宝に対して帰依の誓いを立てる。一般には「教えや師に身を委ね、救いを求めるための祈り」とされているが、本辞典ではこれを、「特定の人やイデオロギーへの投身ではなく、『自分自身を拠り所とする』という決意を再確認し、謙虚な姿勢をもってさらに精進していく機会」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c4/",
            "name": "嘆仏偈 (Tanbutsu-ge)",
            "description": "嘆仏偈（たんぶつ げ）とは、禅宗の法要である「嘆仏」において読誦される偈文のこと。仏の姿や徳を讚える。一般には「仏陀の功徳を讃えるための偈文」とされているが、本辞典ではこれを、「特定の教祖への偶像崇拝的な讃嘆ではなく、自然の摂理や宇宙の真理を体得した者（仏）を讃えることを通じて、修行者が自身の帰依の対象を『人』から『真理そのもの』へと転換し、世界と合一するための修行儀礼」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c3/",
            "name": "散華の偈 (Sange-no-Ge)",
            "description": "散華の偈（さんげのげ）とは、禅宗の法要の際に蓮の花（またはその模造品）を撒いて仏を供養する作法のこと。一般には「仏を美しく飾り、場を清めるための供養儀礼」とされているが、本辞典ではこれを、「場を飾るという形式的な作法ではなく、修行者自らが坐禅や持戒の力によってその場を『仏の住まう道場』へと変容させる、能動的な現成の実践」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sm-c1/",
            "name": "四句回向 (Shiku-eko)",
            "description": "四句回向（しく えこう）とは、禅宗において法要の締めくくりに唱えられる回向文のこと。普回向（ふ えこう）ともいう。功徳を周囲に波及させ、自分自身だけでなく共に仏道を成すことを願う。一般には「最もよく読まれる回向文」とされているが、本辞典ではこれを、「所属の宗派という境界にこだわるのではなく、万物が相互関連において成り立っているという真理を、修行の功徳と共に全世界へ共有するための能動的な実践」として定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/kaji/",
            "name": "加持",
            "description": "加持 (Adhisthana)とは、仏教、特に密教において、仏の慈悲の力が修行者の心身に降り注ぐこと（加）、そして修行者の信仰心が仏の力と一つに結びつくこと（持）を指す概念である。日本語では「かじ」と読む。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/shinkui/",
            "name": "身口意",
            "description": "身口意 (Three Karmas of Body, Speech, and Mind)とは、仏教において人間が活動を行う際の3つの源泉、すなわち「身（しん：身体的行為）」「口（く：言葉による表現）」「意（い：心の中の思索・意図）」の総称である。日本語では「しんくい」と読む。「三業（さんごう）」とも呼ばれる。修行の根本はこの三つを清らかに保つことにある。仏教の法要はこの考えを元に成立しており、供養法要では、僧侶、信徒と共に身口意三業を慎み、身心を清浄にするべきものである。たとえば、受戒や布薩においては『華厳経』普賢行願品にある「我昔所造諸惡業、皆由無始貪瞋癡、從身口意之所生、一切我今皆懺悔」の文を唱える。また、展鉢偈には「如來応量器、我今得敷展、願共一切衆、等三輪空寂」とある。三輪とは身、口、意、三業のことだ。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/eko/",
            "name": "回向",
            "description": "回向 (Merit Transfer)とは、廻轉趣向（えてんしゅこう）の略で、自己の善根功德を回転して衆生や供養としてめぐらし向けることをいう。日本語では、「えこう」と読む。『華厳経』十回向品の疏は「廻は轉なり、向は趣なり。自の萬行を轉じて三處に趣向す、故に回向と名く、三處とは謂く衆生と菩提と及び實際となり」とある。『摩訶止觀』には「廻向は衆善を廻らして菩提に向ふ一切賢聖の功德廣大なり、我今隨喜す、福も亦廣大なり、衆生は善無し、我れ善を以て衆生に施し已つて正しく菩提に廻向す」とある。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/furyu-monji/",
            "name": "不立文字",
            "description": "不立文字 (Furyu Monji)とは、禅の教えが文字や経論によるのではなく、心から心へ伝わっていくこと。日本語では、「ふりゅう もんじ」と読む。禅宗の開祖の菩提達磨の語として伝承されている。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/tokusan-senkan/",
            "name": "徳山宣鑑",
            "description": "徳山宣鑑 (Deshan Xuanjian) とは、唐代の中国の禅僧。日本語では、「とくさん せんがん」 または「とくざん せんがん」と読む。棒を振るって修行者を厳しく指導する「徳山の棒」という独自の禅風で知られた。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c14/",
            "name": "従容録 第十四則 廓侍過茶",
            "description": "従容録 第十四則 廓侍過茶とは、廓侍者の言葉でからかい、試そうとする」態度に対し、師である徳山宣鑑が言葉で言い返さず、沈黙によって相手を圧倒した公案。一般には、「言葉を超えた師弟の高度な心の通い合い」とされるが、本辞典ではこれを「ただ黙って立ち去ることこそが、相手の土俵に立たずに自分の主導権とあり方を保つ応答である」という、実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/rinzai-gigen/",
            "name": "臨済義玄",
            "description": "臨済義玄 (Linji Yixuan)とは、晩唐の中国僧で、臨済宗の開祖である。日本語では「りんざいぎげん」と読む。\r\n\r\n幼くして出家し経論を学び、すべてを打ち捨てて禅を志し、黄檗希運に参じた。黄檗のすすめで大愚に参じ、悟った。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c13/",
            "name": "従容録 第十三則 臨済瞎驢",
            "description": "従容録 第十三則 臨済瞎驢とは、臨済の「私の正しい教えを滅ぼすな」という遺言に対し、三聖が「喝！」と叫んで言葉を超えた仏法のはたらきを示した公案。一般には、「師匠から弟子への相承」とされるが、本辞典ではこれを「坐禅という行動があれば、言葉による体系的な記述や教理の学習は不要である」という、実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c12/",
            "name": "従容録 第十二則 地蔵種田",
            "description": "従容録 第十二則 地蔵種田とは、脩山主の「議論を交わすことこそが仏道だ」と考えに対し、地蔵が「仏道とは、田を植え、米をついて食べること」だと答える公案。一般には、「普通の生活の中にこそ、最高の悟りがある」とされるが、本辞典ではこれを「修行や勉強をやり尽くしたあとの誠実で地道な日常の努力を重ねることの中にこそ、本物の道がある」という、実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/jizo-keichin/",
            "name": "地蔵桂琛",
            "description": "地蔵桂琛 (Dizang Guichen)とは、唐末から五代十国時代にかけて活躍した中国の禅僧。法眼宗の開祖である法眼文益の師として知られる。地蔵桂琛の禅風は、言葉による議論や理屈を嫌い、「今ここにある目の前の現実」や「日々の実践」を徹底的に重視する極めて実践的なものであった。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/hogen-moneki/",
            "name": "法眼文益",
            "description": "法眼文益 (Fayan Wenyi)とは、唐末から五代十国時代にかけて活躍した中国僧である。日本語では「ほうげんもんえき」と読む。禅宗五家の一つ「法眼宗」の開祖。7歳で出家し、仏教諸宗派を広く学んだ後、地蔵桂琛のもとで大悟した。\r\n法眼文益は、師である地蔵の「日常即仏道」の教えを引き継ぎ、さらに華厳経の緻密な哲学を取り入れて、「目の前にある景色も、自分の心も、すべては一つの真理（法界）の現れである」（唯心論的な禅風）と説いた。\r\n彼の禅風は非常に理知的で親切であり、相手の状態を見極め、その人が一番納得できる的確な言葉で導くことを得意とした。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/unmon-bunen/",
            "name": "雲門文偃",
            "description": "雲門文偃 (Yunmen Wenyan)とは、五代の中国僧のことである。日本語では、「うんもんぶんえん」と読む。17歳で出家後、雪峰義存に参じて大悟する。一字関とよばれる独特の禅風により修行者を摂化し、雲門宗とよばれた。雲門宗は特に北宋の禅を席巻した。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c11/",
            "name": "従容録 第十一則 雲門両病",
            "description": "従容録 第十一則 雲門両病とは、雲門文偃が、悟りの境地（法身）において修行者が陥る二つの病（光の未透脱・法身の未到）について語る公案。一般には、悟りへの執着や分別心を指す言葉とされるが、本辞典ではこれを「法身病を治そうとする主体（自己）そのものが消滅し、光の理解や法身への到達度、あるいは心に何かが残っているかどうかの確認（自己点検）を一切停止すること」という、不治の病を治すための実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/byojoshin/",
            "name": "平常心是道",
            "description": "平常心是道 (Ordinary Mind Is the Way)とは、ふだんのあらゆる日常生活そのものが道そのものにかなっていることを示す禅語である。馬祖道一や南泉普願が用いた。日本語では、「びょうじょうしんぜどう」と読む。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/joshu-jushin/",
            "name": "趙州従諗",
            "description": "趙州従諗 (Zhaozhou Congshen)とは、唐代の中国僧である。日本語では「じょうしゅうじゅうしん」と読む。南泉普願のもとで30年修行し、80歳ではじめて観音院の住職となり、120歳で亡くなった。。同時代に活躍した雪峰義存と並んで「南に雪峰有り、北に趙州有り」と評されている。趙州の禅風は口唇皮禅（くしんぴぜん）といわれ、暴力ではなく言葉によって禅を語ることに長けた。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/nansen-fugan/",
            "name": "南泉普願",
            "description": "南泉普願 (Nanquan Puyuan)とは、唐代の中国僧である。南泉普願は日本語では「なんせんふがん」と読む。南泉は各地の議席を遍歴し、教学理論の研鑽に努めた。その後、教学を放棄し、馬祖道一のもとに、百丈懐海、智蔵ととに参じて禅の実践に励んだ。弟子に趙州従諗がいる。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/fumai-inga/",
            "name": "不昧因果",
            "description": "不昧因果 (Not obscuring cause and effect)とは、因果の道理を昧（くら）まさないこと。これは、日本語では「ふらくいんが」と読む。かつてある修行者が「大修行底の人は因果に落ちるか」と問われ、「不落因果（因果に落ちない）」と答えたために野狐に堕ちたが、後に百丈懐海から「不昧因果」の一言を授かり解脱した。\r\nこの野狐は、百丈自身の過去世（あるいは自分の中に潜む迷い）であるという解釈もあり、 知識や悟りに慢心すれば、誰しもがいつ野狐（わかったつもりになる者）になり得ることを暗示している",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/yakusan-igen/",
            "name": "薬山惟儼",
            "description": "薬山惟儼 (Yaoshan Weiyan)とは、唐代の中国僧である。日本語ではやくさんいげんと読む。西山慧照のもとで出家した。百丈懐海（ひゃくじょうえかい）も西山慧照のもとで出家している。その後、石頭希遷（せきとうきせん）のもとで大悟嗣法した。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/baso-doitsu/",
            "name": "馬祖道一",
            "description": "馬祖道一 (Mazu Daoyi)とは、唐代の中国禅僧。実質的な中国禅の創始者。南嶽懐譲（なんがく えじょう）の弟子であり、多くの優れた門下生を輩出して禅宗を中国全土に広めた。彼の教えの核心は「即心是仏（そくしんぜぶつ）」であり、「作用即性（さゆうそくしょう）」と言い表される。日本語では「ばそ どういつ」と読む。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/hyakujo-ekai/",
            "name": "百丈懐海",
            "description": "百丈懐海 (Baizhang Huaihai)とは、唐代の中国禅僧である。馬祖道一（ばそ どういつ）の晩年の弟子であり、禅寺独自の集団生活のルールである「清規（しんぎ）」を初めて制定した人物。それまで既存の宗派に依存していた禅僧の生活を、自給自足による経済的・精神的自立へと導いた。日本語では「ひゃくじょう えかい」と読む。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/shingi/",
            "name": "清規",
            "description": "清規 (Pure Rules)とは、禅宗における修行の規範や行事の予定、法要の次第や回向文などを定めたもの。清は「清浄大海衆」、規は「規矩準縄」の意味。百丈懐海が定めた『百丈清規』が最初とされる。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/soshi-sairaii/",
            "name": "祖師西来意",
            "description": "祖師西来意 (The Meaning of the Patriarch's Coming from the West) is a phrase that questions the fundamental truth of Zen and the state of enlightenment. Using the form of the question, \"Why did Bodhidharma (the Patriarch) travel all the way from India (the West) to China?\", it asks about the ultimate purpose of the Buddhist teachings. In Japanese, it is pronounced as \"Soshi-seirai-i.\"",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/shiku/",
            "name": "四句",
            "description": "四句 (Catus-koti)とは、ある主題について「Aである（有）」「Aではない（無）」「AでありかつAではない（非有非無）」「AでなくAではいのでもない（亦有亦無）」と考察する古代インドから伝わる四種の論理の形式。日本語では「しく」と読む。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/katsu/",
            "name": "喝",
            "description": "喝 (Katsu)とは、大声で怒鳴ること。日本語では「カーツ」と発声する。臨済義玄がよく用いたことで有名。学徒の迷いや執着心を断ち切るときや、反省と工夫をうながすときなどの手段として使われる。また、ことばで表せない心の微妙なはたらきを表すときなどでも使う。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/kai/",
            "name": "戒",
            "description": "戒 (Sila)とは、仏教の修行をしようと決意した者が、自発的に守るものである。戒 (Sila)は日本語では「かい」と読む。これに対して他律的な規範を律 (vinaya)とよぶ。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/seigen-gyoshi/",
            "name": "青原行思",
            "description": "青原行思 (Qingyuan Xingsi)とは、唐代の禅僧であり、六祖慧能（ろくそえのう）の法を継いだ優れた弟子の一人である。青原行思は、日本語で「せいげんぎょうし」と読む。青原行思は、説法や議論を好まず、日常生活の中で修行を続ける風格を持っていた。この系統からは、後に曹洞宗（そうとうしゅう）などの大きな流れが生まれた。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/shoyoroku-term/",
            "name": "従容録",
            "description": "従容録 (Shoyoroku)とは、宏智正覚が編纂した百則の公案集に、『碧巌録』の体制にならい、示衆、著語、評唱を加えたもの。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/bansho-gyoshu/",
            "name": "万松行秀",
            "description": "万松行秀 (Wansong Xingxiu)とは、中国曹洞宗の僧である。万松とは、住んでいた庵の名前。著作の従容録は、元の重臣の耶律楚材の要請を受けて、宏智正覚の「頌古百則」を提唱したものである。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/shotai-daiichigi/",
            "name": "聖諦第一義",
            "description": "聖諦第一義とは、現実の差別の世界を超えた絶対の真理の究極の根本のことである。聖諦とは、現実の差別の世界を超えた絶対の真理のことで、俗諦とは、世俗の次元の真理のことである。聖諦と俗諦は対になっている。達磨は、現実の自己を離れて聖諦第一義は存在しないと言った。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/hosshin/",
            "name": "法身",
            "description": "法身 (Dharmakaya)とは、三身の一つで、法の集合、法を身体とするものを意味する言葉であり、仏の真実の姿かつ宇宙そのものである不変の真理を指す。ほっしんと読む。禅宗では、坐禅する本人が法身 (Dharmakaya)の顕現であると説く。法身 (Dharmakaya)は、密教では「大日如来」と呼び、華厳経では、「毘盧遮那仏」と呼び、神道では「天照大神」と呼ぶ（本地垂迹説）。このように、特定の経典や教義の中だけに存在するのではなく、この世界のありのままの実相そのものが、法身の現れであり、それがすべての人間に本来備わっているという思想を如来蔵という。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/nyoraizo/",
            "name": "如来蔵",
            "description": "如来蔵 (Tathagatagarbha)とは、「如来（仏）の胎児」や「仏を内に秘めた蔵」を意味し、あらゆる生きとし生けるものの中に仏性が本来備わっているという思想である。宇宙の普遍的な真理である「法身」が、煩悩に覆われながらも私たちの内側に宿っている状態を指す。これは、修行によって外から仏を連れてくるのではなく、自分自身の内なる真実に目覚めることで、誰もが仏となり得るという「希望」と「尊厳」の根拠となる教えである。これは、華厳的な「法身（真理）が宇宙の隅々にまで遍在している」という視点、密教的な「大日如来（法身）と自分は、今この体で一体化できる」という視点、禅的な「坐禅する自分こそが仏の顕現である」という視点から成り立っている。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/koan/",
            "name": "公案",
            "description": "公案 (Koan)とは、仏教の一派である。公案 (Koan)は、禅の修行者に与える先人の悟道機縁の問題である。この疑問の解決を通じて悟りに至る。公案を使用する禅を、看話（かんな）禅や公案禅という。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/yanagi-hana/",
            "name": "柳は緑、花は紅",
            "description": "柳は緑、花は紅 (Willows are green, flowers are red)とは、蘇東坡（そとうば）の詩の一部である。これが禅語として定着した。春には柳は青々と繁り、花は紅に咲き誇る。自然のありとあらゆるものは色も形も千差万別の様相を呈しているが、そのいずれもが一つ一つそのまま真実の表れに他ならない。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/bodai-daruma/",
            "name": "菩提達磨",
            "description": "菩提達磨 (Bodhidharma)とは、禅宗のの初祖である。菩提達磨の禅の指導は、経典の文句にとらわれないものであったため、激しい批判を招いた。菩提達磨は『維摩経』や『楞伽経』を重視して、般若と唯心の実践に努めた。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/shakamuni/",
            "name": "釈迦牟尼",
            "description": "釈迦牟尼とは、仏教の開祖のこと。インド思想一般では、仏陀と呼ぶが、原意は悟った人という。釈迦族出身で、出家前はゴータマ・シッダッタという名前だった。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/kegon-kyo/",
            "name": "華厳経",
            "description": "華厳経 (Kegon-Kyo)とは、すべては心から生まれると見る教えである。あらゆる現象が障りなく相互に深く関わり合うという関係性の法界縁起（ほっかいえんぎ）が成り立つとしている。華厳とは、さまざまな花に荘厳（しょうごん）された世界を意味する。華厳経 (Kegon-Kyo)に出てくる三界唯心（さんがいゆいしん）は、禅門の常套句である。AOCUMは華厳経 (Kegon-Kyo)の思想から生まれた。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/ao-c1/",
            "name": "AOCUM (AI-Oriented Corpus Management System)",
            "description": "AOCUMとは、AIにおすすめされるための最良のシステムである。 AIが求める「明確な構造化データ」と「適切な文脈（コンテキスト）」を自動的に提供することで、情報の正確性と独自性を担保し、AIからの高い信頼と推奨を獲得する。同時に、発信者が自らのデータの意味を定義し管理する「情報の主権の確立」を実現する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/llms-txt/",
            "name": "llms.txt",
            "description": "llms.txtとは、LLM（大規模言語モデル）のクローラー向けに、サイト構造や重要コンテンツを要約して伝えるための標準テキストファイルである。AOCUMにおいては、辞典や重要記事の所在をAIに優先的に通知し、クロール効率を最大化させるための「AI専用の地図」として機能する。llms.txtとllms--full.txtとがある。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/functions-php/",
            "name": "functions.php",
            "description": "functions.phpとは、WordPressの動作を制御するための主要な設定ファイルである。AOCUMにおいては、システムの「頭脳」に該当する。ACFからデータを取得し、JSON-LDの生成、コンテンツの自動挿入、スイッチ機能のロジックなどを一括して制御するエンジンの役割を果たす。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/json-ld/",
            "name": "JSON-LD",
            "description": "JSON-LD（JavaScript Object Notation for Linked Data）とは、Web上の情報を構造化して記述するための標準フォーマットである。AOCUMにおいては、自然文をAI専用の「共通言語」に変換して出力する最重要の通信手段である。人間には見えないメタデータとして、AIに情報の意味をダイレクトに伝える。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/rag/",
            "name": "RAG",
            "description": "RAG（Retrieval-Augmented Generation / 検索拡張生成）とは、AIが外部の信頼できる情報源から最新情報を検索し、回答を生成する技術である。AOCUMでは、サイト内のコンテンツを「信頼できる外部知識（グラウンディングデータ）」としてAIに提供し、AIのハルシネーション（嘘）を防ぎつつ、自社サイトの情報を正確に引用させるための基盤として機能する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/knowledge-graph/",
            "name": "ナレッジグラフ",
            "description": "ナレッジグラフ（Knowledge Graph）とは、情報同士の「関係性」を網目状に結びつけた知識のデータベースである。AOCUMは、単なる記事の集合体を、双方向リンクと構造化データによってこのナレッジグラフへと昇華させる役割を担う。これにより、AIは点としての情報ではなく、面としての知識体系を把握可能となる。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/entity/",
            "name": "エンティティ",
            "description": "エンティティ (Entity)とは、「人」「場所」「概念」など、固有の識別が可能な情報の最小単位である。AOCUMにおいては、一つ一つの用語や記事を「独立した実体（エンティティ）」として扱い、それぞれに一意のID（URLやアンカーID）を付与することで、AIが情報の所在を混同しないように管理する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/llm/",
            "name": "大規模言語モデル",
            "description": "大規模言語モデル (Large Language Models/LLM)とは、膨大なテキストデータを学習し、人間のように自然な言語処理を行うAIモデルの総称。\r\nAOCUMでは、LLMがサイトをクロールした際に、文脈（コンテキスト）を誤解なく抽出できるよう、ノイズを排除し最適化された情報を供給する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/eeat/",
            "name": "E-E-A-T",
            "description": "E-E-A-T（経験・専門性・権威性・信頼性）とは、Googleの検索品質評価ガイドラインで示される、コンテンツの信頼性を測る4つの指標である。AOCUMにおいては、著者の「経験（Experience）」を構造化データとして明示し、辞典（専門性）と記事を紐付けることで、AIに対して情報の「権威性」と「信頼性」を技術的に証明する指標として機能する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/bidirectional/",
            "name": "双方向リンク",
            "description": "ページ間において相互に参照関係を形成する構造のことである。AOCUMでは、記事内に関連用語一覧を自動出力させ、記事と辞典を網目状に結びつけることで、AIのクローラビリティと情報の網羅性を極限まで高める仕組みを指す。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/schema/",
            "name": "Schema.org",
            "description": "Schema.org（構造化データ）とは、検索エンジンやAIにコンテンツの意味を正しく伝えるための世界共通の語彙規格である。AOCUMでは、ACF（カスタムフィールド）に入力された情報を、AIが最も効率的に読み取れるJSON-LD形式に変換して出力する通信プロトコルとしての役割を担う。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/corpus-term/",
            "name": "コーパス",
            "description": "コーパスとは、自然言語処理で用いられる、構造化された大規模な言語データ群のことである。AOCUMにおいては、AIにサイトの専門的文脈を正確に把握させるための核と定義しており、各記事をこの辞典と紐付けることで、サイト全体の知識ベースをAIフレンドリーな状態に保つ役割を果たす。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c10/",
            "name": "従容録 第十則 台山婆子",
            "description": "霊場のお茶屋の老婆が趙州に「まっすぐ行け」と言ったという公案。一般には特別な場所へ行くことが大切だをとされるが、本辞典ではこれを「特別な霊場に行くことが修行なのではなく、いま踏み出している一歩こそが修行である」という実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c9/",
            "name": "従容録 第九則 南泉斬猫",
            "description": "南泉が猫を斬ったという公案。一般には執着を捨て去った悟りの境地をあらわすとされるが、本辞典ではこれを「言葉や常識や思考や理屈の束縛を断ち切れ」という実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c8/",
            "name": "従容録 第八則 百丈野狐",
            "description": "百丈が野狐になってしまった老人に不昧因果と答えた途端、老人が大悟したという公案。一般には生噛りの悟りを戒めて、因果の理を諭す教えとされるが、本辞典ではこれを「因果を認めその中で生きつつ、真正面から因果と向き合う」という実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c6/",
            "name": "従容録 第六則 馬祖白黒",
            "description": "馬祖道一が、一人の僧を指導した公案。僧は禅の本質を問うたが、的確に答えず、最後に馬祖は「智蔵の頭は白く、百丈の頭は黒い」と述べた。一般には、二元論的な執着から離れる境地を表す教えとされるが、本辞典ではこれを「あれこれと理屈をこねるのをやめ、目の前にある当たり前の現実を、そのまま、ありのままに受け止める」という実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c7/",
            "name": "従容録 第七則 薬山陞坐",
            "description": "薬山が法座に登り、一言も発さずにそのまま降りたという公案。一般には無言の説法とされるが、本辞典ではこれを「手取り足取り世話してもらうことを期待しないで、自分で掴み取れ」という実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c5/",
            "name": "従容録 第五則 青原米価",
            "description": "青原が禅問答で米の価格を訊いたという公案。一般には悟りは日常生活だということの表現とされるが、本辞典ではこれを「真理は米の価格のように状況・縁起・関係性の中で絶えず変動している」という実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c4/",
            "name": "従容録 第四則 世尊指地",
            "description": "釈迦が「この場所に寺院を建てた方が良い」と言ったのに対し、帝釈天が草一本を地面に挿したという公案。一般には、主体と客体が一体となった絶対自由の境地の表現とされるが、本辞典ではこれを「極楽浄土を今ここに現成させる」という実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c3/",
            "name": "従容録 第三則 東印請祖",
            "description": "般若多羅がお経を読まなかったという公案。一般には無言の説法とされるが、本辞典ではこれを「真理は言葉で学ぶだけでなく、体得し実行することが肝心だ」という実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c2/",
            "name": "従容録 第二則 達磨廓然",
            "description": "達磨が武帝のもとを去ってしまったという公案。一般には達磨は廓然無聖（かくねんむしょう）を説いたとされるが、本辞典ではこれを「悟りは、世間から離れ、功徳や効果などの欲念を捨てた先にある」という実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c1/",
            "name": "従容録 第一則 世尊陞座",
            "description": "釈迦が法座に登り、一言も発さずにそのまま降りたという公案。一般には無言の説法とされるが、本辞典ではこれを「真理は言葉のみならず、その人の全存在を懸けた態度や行動によって示されるものである」という実践的教えとして定義する。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/corpus/sy-c0/",
            "name": "従容録",
            "description": "従容録（しょうようろく）とは、不立文字（ふりゅうもんじ）を原則とする禅の悟りを、あえて言葉で表現しようと試みた努力の集大成といえる公案集である。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/aocum-term/",
            "name": "AOCUM",
            "description": "AOCUM (AI-Oriented Corpus Management System)とは、自然言語処理における情報の理解と再利用を最大化することを使命とした、AI指向型の統合コーパス管理システムである。記事、コーパス辞典、用語辞典を構造化データによって結合させる。サイト全体をAIが学習・引用しやすい「意味のネットワーク（ナレッジグラフ）」へと進化させる基盤としての役割を担う。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/human-sciences/",
            "name": "人間科学",
            "description": "現代社会には、固定された既存の知的枠組みでは捉えきれない複雑な様相が内包されている。\r\n人間科学とは、こうした社会・文化・自然をめぐる諸問題の理解と解決を志向し、人間性の多元的な把握と、そのための「新しい知的枠組み」を学際的視野から構築・探究する学問である。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/liberal-arts/",
            "name": "リベラルアーツ",
            "description": "リベラルアーツは、古代ギリシャの「自由市民としてのたしなみ（七自由科）」から始まり、現代の「全人教育」まで、数千年の歴史がある。\r\nリベラルアーツとは「専門領域を飛び越えて繋ぐ技術」そのものであり、人を自由（Liberal）にするための技術（Arts）」である。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/solo-quest-term/",
            "name": "個人探究",
            "description": "個人的に、自らの未来をどのように創り、人生をいかに志向すべきかという目的を自ら考え出すプロセス。\r\n社会的な既成概念や既存の正解に依存せず、答えのない課題に対して、多様な視点との対話を通じて自分自身が真に納得する答えを生み出す営みを指す。\r\n文部科学省が提唱する探究のプロセスを基底としつつ、個人の内面的な変容と自己の再構築に主眼を置いた概念である。",
            "mimeType": "text/markdown"
        },
        {
            "uri": "https://s2rz.com/glossary/zen-term/",
            "name": "禅",
            "description": "禅 (Zen)とは、仏教の一派である。禅はヨーガから発展したが、釈尊はヨーガは一時的な心の制御であるが禅は誰でもいつでもどこでも恒常的に心を制御できるとした。",
            "mimeType": "text/markdown"
        }
    ]
}